小説

『盗るが先か、死ぬが先か』霜月透子(『うさぎとかめ』)

 と、ここまで考えて「おや?」と思った。この部屋の住人は三十代前半と思われる男性だ。下見はぬかりなく行っているからたしかだ。この時間は留守であることは調査済みだからこそ、こうして侵入したのだ。いつの間に入居者が変わったのだ?
 いや、ちがう。
 俺は部屋を見渡した。ワンルームだ、一瞬でわかる。この部屋は間違いなく男の生活を感じさせる。やはりここの住人はあの男なのだ。
 じゃあ、この女は何者だ?
 女は俺と目が合うと、一変して気弱な表情を見せた。
「お願い。あの人のものを盗らないで」
「あの人……?」
「ここ、彼の部屋なの」
 なるほど。オーバーサイズのスウェットは借り物というわけか。この状況が腑に落ちた。しかしわからないのは、なぜ恋人が出かけた後の部屋で自殺をしようとしているのかということだ。
「そうか、当てつけか。彼氏に裏切られたかなんかして、その腹いせにやつの部屋で死んでやろうって魂胆か」
「よくわかったわね」
「やめとけやめとけ。そんな一時の感情で早まるなよ」
「あなたになにがわかるっていうの?」
「わからねえよ。わからねえけど、口をきいたことのある人が死ぬだなんて後味悪いよ」
「さっきは私が死ねば盗みがばれずに済むって言っていたじゃない」
「さっきは、ほら、まさかそんな理由で死のうとしてるなんて思わなかったし」
「理由次第なの?」
「いや、そうじゃないけど」
「死ぬのやめたら、あなたのこと通報するわよ?」
「だよなあ」
 ここで盗んでも盗まなくても、通報されればなんらかの罪は問われるだろう。これまでに発覚していない窃盗まで暴かれるかもしれない。この女が生きている以上、俺の身は危険にさらされる。
「私は死にたい、あなたは私の口を閉ざしたい。利害は一致していると思うけど? 今すぐあなたが出て行けば万事解決じゃない? あなたがこの部屋に入ったのも、出て行くのも、調べればきっと目撃者が見つかるわ。私の死亡時刻以前にわざと目撃されてアリバイを作っておくのもいいかもね」
 なるほど、今すぐここを出て、まだ女が生きているうちに駅近くのコンビニかカフェあたりの防犯カメラに写っておけば死亡推定時刻にこの場にいなかったと証明できるだろう。
「私が死ぬのが早いか、あなたが出て行くのが早いか。」

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