小説

『二人は朝食を食べながら、夢の話をする』ノリ・ケンゾウ(『魚服記』太宰治)

「全然。ふざけちゃいないよ」
 ふん、とスワが鼻でオサムを笑い、ベッドから起き上がると、ふらふらと目をこすりながら洗面所に歩いていって歯磨きを始めた。それから歯ブラシを口に含んだまま、もごもごと何かを話し始める。歯ブラシをくわえているせいで上手く聞き取れなくて、聞き返すと、スワは口の中に溜まった水と歯磨き粉を吐きだして、口をゆすいでから、
「私もね、溺れたことあるのよ、川で」と、口をゆすいで目が覚めたのか明瞭に言った。
「夢の中で?」
「ううん、現実よ」
「そうなの。そりゃあ、大変だった。生きててよかったね」
「うん、そうなのよ。でもね……」
「でも?」
「あそこで死んでたらよかったって思ったこともあるわ」
 言いながら、スワが笑った。
「どうして」
「助けてくれたのは、私の父親だったんだけどね」
「うん」
「あの人、ものすごい借金残して飛んじゃったから」
「ああ、前に言ってた」
「だったら助けないでくれたらよかったのにって思ったのよ。わざわざ助けておいて、もう生きていけないくらいのね、額の、借金をなすりつけて」
「……そのさ、借金は、もう返したの」
「返したわ」
「すごいね。素晴らしいよ」
「でしょ」と言い、スワがウィンクしながらにっこりと笑った。
「なんか食べる?」
「いいの」
「いいよ、簡単なものしかないできないけど」
「お願いするよ」
 オサムがスワの出会ったのは、雑誌編集の仕事をしているイブセさんに連れられて行った高級クラブだった。オサムはライターとして仕事をしていたが、飯が食えるほどの仕事はなかった。しかしながらイブセさんには気に入られていて、ファッション誌の中でコラムの連載をもらうなどしていた。スワは銀座で高級クラブのホステスとして働いていた。
 スワは背が高く、色が白く綺麗な女性だった。てっきり自分より年上かと思っていたが、話をしてみると自分よりも六つも年下だということが分かった。話も上手で、愛嬌もよく人気なようだったが、どこか物憂げで、オサムにはスワが笑っていても、本当に笑っているようには思えなかった。さっきの笑顔だってそうだった。
「できた」

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