小説

『ロミオとジュリエツコ』橋本雨京(『ロミオとジュリエット』)

「ですね」
 露見は少し笑ったように言って、つむじを掻いた。一瞬はっとした顔をして、寝癖があることに気づき、ぺたぺたと押し撫でた。
 そんな露見を見て、こんな感じの人なら、ありなのかもしれないと恵津子は思い、頷いた。そしてすぐに、ありってなんだ、ありってと、急に恥ずかしくなって、頬を赤らめた。
「あ、暑いですか」
「あ、い、いえ、えっと、少し」
「な、なんか最近、気温が安定してないですからね。暑くなったり、寒くなったり」
「で、ですね」
「あ」
「え?」
「えっと、名前で得したこと、追加しても……よろしいですか」
「あ、はい」
「じゅ、樹里さんと会えて……良かった、かもです。なんとなく」

「んで、結局どうだったの」
 恵津子は鏡の前で、笑顔の練習をしていた。人生で笑うことなどあまりなかったので、頬が強張り、引きつっていた。口角を上げたり下げたりしたせいで、携帯と連携しているワイヤレスイヤホンがずれた。美沙の声が、遠くなる。少し耳の奥へ押し込むと、美沙の声がクリアになった。頬の筋肉がどんよりと痛み、指でもみほぐす。
「まあまあ、でした」
「まあまあって?進展は?」
「進展……というか、なんというか」
「ねえ、はぐらかさないで」
 恵津子は、今度、露見の使う包丁を見に、問屋街を探検することと、働いている工場で、切り絵作家の作品展のチケットをもらったので、美術館へ行くことになったことを、美沙に話した。
「良かったじゃない、すごい進展よ!」
 嬉しそうに話す美沙につられて、恵津子も少し嬉しくなった。
「どうなるか、わからないですけど」
「わかっちゃったら、つまらないでしょ?先のことなんかわからない人生を、いっぱい楽しまなきゃ!」
 恵津子は、頑なに、じっと動かず、抱きしめていた人生から、両手を離した。何となく動き出した人生を、少し放っておくことにした。
 不幸な結末には、ならないような気がしていた。だって、ロミオサムとジュリエツコは、ロミオとジュリエットと、まったくの無関係だから。
 多分。

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