小説

『静かな詩のような魔法』和織(『灰色の姉と桃色の妹』『シンデレラ』)

 功はその日、仕事帰りにスーパーマーケットに寄った。買い物かごを台に置き、購入したペットボトルをビニール袋に入れ、持ち上げる。と、そこにあったらしい何か小さなものが床に落ちた。拾い上げると、それは片方の手袋だった。自分の前にここに女の人がいたと思い出し、慌てて外へ出ると、さっき見た後姿を発見し、急いで追いかけた。
「すみません!」
 呼びかけに振り返ったその人は、功が差し出したものを見てから、ハッと自分の手を見て、申し訳なさそうに頭を下げた。彼女に見とれている自分に気づいて、今度は功のほうがハッとして、手袋を彼女へ渡そうとする。しかしそれが届く前に、後ろで誰かの「わっ」という驚いた声が聞こえ、すごいスピードの自転車が功の横を通り過ぎ、それがそのまま前にいる女性の肩をかすめ、彼女は押されるように後ろへ倒れた。
「あ!」
 功はとっさに持っていた荷物を離して彼女の手を掴んだ。そのおかげで、彼女は尻もちをついただけで済んだ。明らかな違法行為をした自転車は、もうはるか彼方を走っている。周りで何人かが「何あれ」「危ないな」などとと呟いていた。
「大丈夫ですか?」
「はい・・・すみません」
「立てます?」
「ええ」
 そう言って彼女は功を見て、何かに気づいたように、繋がれた自分と功の手を見た。
「触ったら駄目!」
 彼女の言葉は、殆ど叫び声だった。それに撃たれたように、功の体が停止した。

* * *

「私は人一倍臆病だから、見えてしまうことで覚悟できたこともあった。辛いときもあったけど、この魔法は、私のことちゃんとサポートしてくれた。出会えなくても、あんたのお姫様を見せてくれたし」
 生前、母は功にそう言った。魔法使いだった母は、3年前に病気で亡くなった。母が言ったことが本当なのかどうか、功にはわからなかった。功はやはり、魔法使いにはならなかったからだ。「自分のことは何もわからないなんて、使えない力だ」という台詞を無理やり飲み込んで、母がその魔法に付けた意味で納得するよう、脳内で促した。
「またそれかよ」
「だって王子様の条件を満たしてるの、あんただけなんだから」
 条件、母はいつもそう口にした。けれど、功はそれを問い詰めなかった。母がそうして何か仄めかしているのに意味があることを、知っていたからだ。
「お姫様は、出会って開口一番」
「「触ったら駄目!」、だろ?」

* * *

 女性は、はぎ取るように功から自分の手を離し、こう訊いてきた。
「大丈夫ですか?」
「え?」

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