「んじゃ、お先に」
うし若は車道の向こうから軽く手をふり、走り去って行った。
「きゃーっ!」
女子たちが大騒ぎする。あんな常識破りの大ジャンプを見せられたら、はしゃぎたくもなるだろう。そして彼女たちはそれぞれにうし若を追いかけて行ったが、おそらく彼に追いつくのはもうムリだ。うし若の脚力は並大抵ではない。
「あの……」
小さな声が聞こえた。ベンケーがはっとして見ると、抱きとめたままのさっきの女子がはなれようとしている。
「あ、ご、ごめん! けがは?」
ベンケーがあわてて彼女をはなすと、彼女はぺこりとお辞儀をし、走り去ってしまった。今どき珍しいほどに大きな黒縁のメガネで、さらさらの黒髪は二つのおさげに結い、スカートもひざ下丈のセーラー服。恐ろしいほどに地味で時代遅れに思えるが、それがたまらなく愛らしい。うつむきがちな小顔も小動物のようにかわいらしく見えた。ちょこまかとヘタな走り方で去っていく彼女を見送りながら、ベンケーは思った。
「むちゃくちゃタイプ……!」
ゆーうつ。ベンケーはため息をついた。あれから彼女に遭遇することがなかったのも残念だったが、ついに呪われた二月をむかえ、それも中旬になってしまったから。二月といえば、あのイベントがある。日本中でハートマークが飛び交うあの日、そう、バレンタインだ。この日は普段の何倍もの女子がうし若を狙うことが考えられた。しかも、いつもはうし若を見るだけで満足していた連中がうし若にチョコを渡そうとゼロ距離まで接敵してくる。1対1000ともなれば、ベンケーとはいえ一人ではうし若を守り切れない。五条はパニックになるだろう。それを考えるだけでベンケーはサクサクのとんかつものどを通らないほどに憂鬱だった。
チュンチュンとスズメが鳴く爽やかな朝。戦はすでに始まっていた。一番槍ならぬ一番チョコをあげんと女子たちがうし若の住むタワーマンションのエントランスをぎゅうぎゅうに取り囲んでいたのだ。ここがオートロックでよかった。迎えに来たベンケーは女子たちにもみくちゃにされながらそう思った。しかし、困った。うっかりいつものようにロックを解除してドアを開けようものなら、女子たちもなだれこむだろう。どうしたものか。ベンケーがノーアイデア地獄に陥っていると、うし若が7階の外階段から顔を出して叫んだ。
「ベンケー!」
その声にベンケーと女子たち全員が見上げた。黄色い悲鳴があがる。その中でベンケーのスマホが鳴った。うし若から着信だった。
「もしもし?」
「ベンケー? 隣に公園があるじゃん? そっちに回ってくれる?」
「うし若、今日は五条に行かない方が……」
「ばか、ベンケー。オレ、皆勤賞狙ってんだぞ。絶対行くかんな! 守れよ!」
電話が切れ、ベンケーはため息をついて公園へと移動した。そして、やれやれと上を向くと、
「ベンケー!」