小説

『T21』香久山ゆみ(『ノアの箱舟』)

 三時間ほどで気付くと風の音はほとんど聞こえなくなっていた。
 スマホ画面を確認すると、台風はすでに通り過ぎてあと一時間くらいで吹き返しの風も収まるであろうとのこと。ニュース画面はすでに台風通過後の被害の様子を伝えている。
 二十五年ぶり規模の超大型台風は、町の全てのものをなぎ倒していったのだとニュースが告げる。街路樹は根本から倒れ、電柱は折れ、屋根は飛んでいき、交通標識はあらぬ方向に曲がり、自転車ごと駐輪場が飛んだり、臨海公園は海の一部となっているという。
 世界はしんと静まり返っている。私は怖くて外に出られない。
 幼い頃は母が迎えに来てくれた。母は一緒に浴槽に入ってはくれなかったし、スマホもない時代のことでテレビで情報確認するため一緒に浴室に留まってもくれなかったけれど、台風が過ぎ去ると、コンコンと湯蓋を叩き、「台風はどっか行ったよ。もう大丈夫よ」と私(と犬)を迎えに来てくれた。けれど、かつて迎えに来てくれた母も今はいない。だから、私は外に出られない。結局いつまでも幼い子どものまま。
「……うあーあああーーーあ」
 と、突然隣から出た呻き声にびくっとする。バタンと湯蓋を上げて、娘が顔を出す。大きな欠伸、寝起きのようだ。
「あ、ママおはよう。寝ちゃったよ。起きたら真っ暗だからびっくりしちゃった。……あれ? そういえば、台風は?」
 だなんて。おとぼけぶりに思わず吹き出してしまう。
「台風もう通り過ぎたの? ええっ、樹が折れるの? うそー。ママ、見に行ってみよう」
 幼い娘に手を引かれて外に出る。浴室から、家の中から、外へ。
 すでに風は止み、濡れた足元には落ち葉やどこかから飛んできたゴミなんかが散乱している。自宅を振り返ると、無傷とはいかないまでも、屋根のトタン部が反り返る程度で持ち堪えている。
 ぞろぞろと、ご近所の家々からも住人が出てくる。
「怖かったですねー」「ええ」「揺れましたね」「ほんとに。家が飛んでいくんじゃないかとひやひやしましたよ」「ふふ、うちも」……なんて会話を交わし共有することで、次第に恐怖も和らいでくる。
「あ」
 娘の声に、皆で空を見上げる。雲間から青い空が覗いている。西の空には早くも星が瞬いている。一番星を見つけた娘が嬉しそうに駆け寄り、私はぎゅっと抱きしめた。

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