ナーラカはしばらくマガダ国を沈黙行で巡った後、シャーキャ国に戻った。懐かしい故郷の地に立って、ナーラカたちまちのうちに故郷の風景の一部と化した。彼の輪郭が溶け出して、背景の故郷との境目がなくなっていた。
しばらくぶりの故郷の自然は変わっていない。時あたかも四月。ルンビニ園は沙羅双樹の花が咲き乱れ、風が花の香りを運んでいた。残念なことは、古い友人や老いた親戚の内、鬼籍に入った者もいたことであったが、村を歩くと旧知がこちらに気がついて、その都度誰もが目を見張った。無理もない、ナーラカの顔はもはや愚者といってもよいほど、からっぽの空のようであったのだ。
「おぬしはあの、ナーラカか?」
旧知は一様に疑った。何を問われても答えないナーラカを目の当たりにし、彼らはそれがナーラカ当人だと認めざるを得なかった。ナーラカの教化力は甚大であった。ナーラカに接すると、王族はじめ、誰もが己の饒舌を恥じた。かくして誰もがたちまちのうちに寡黙になった。
シャーキャ国は平和になった。雨は甘露に風は薫風になり、川は歌いながら流れ、大地は豊かな実りを人々に与えた。家々から諍いの声は絶え、人々は朗らかに笑った。
ただ一人、ナーラカだけは悲しい目をしていた。ナーラカの旧知がその訳を尋ねても、ナーラカは沈黙で答えるだけであった。ナーラカの目は、深く、悲しい。その目には、シャーキャ国がシュラーヴァスティー国に滅ぼされる未来の、人々の阿鼻叫喚の姿が見えていたのであった。