小説

『何の、糸』三号ケイタ(『蜘蛛の糸』)

「神田、何点だったよ」
 男子生徒は神田にも聞いた。神田は点数を答えた。
「合格じゃないか、ちょっと見せろよ」
 そう言うと、神田の返事を待たずに用紙を取った。
「おい、返せよ」
 神田がそう言っても男子生徒は応じなかった。しばらく男子生徒はそれを眺めていたが、やがて嬌声を上げた。
「おい、これ点数間違ってんじゃん」
「やめろよ」「放せって」
 男子生徒は神田の手を振り払い、その答案用紙を男の前につきだした。
「先生、神田のこれ、点数が違いますよ。直してくださいよ」
 男は、少し黙って答案を見返してから言った。
「・・・確かに、そうだな。これはしまったな。神田、悪かったな。それで、そうするとお前は不合格ということになる」
 神田はしばらくうつむいていた。男が男子生徒のほうを見ると、彼の顔は口をゆがませて、感情を抑えようとするような、曖昧な表情を作っていた。
 その時、神田が顔を上げた。そして男を見据えると絞り出すように言った。
「満足かよ」
 それから神田は男の手からテストを掴み取ると教室を出て行った。男はしばらく何も言わなかった。それからふう、と息をついた。
「他に、点数の誤りがあるものはいるか」
 そう言って教室を眺め返す。教室はしんと静まって、返事はなかった。男は解散を告げて職員室に戻った。
 男は職員室の椅子にもたれながらぼんやりと考えた。
 神田は不合格になったから、また再試験になるだろう。以前慈悲をかけて点数を増してやり、今回もまた同じような点数にしかならなかったのだから、それは本人の取り組みが悪かったのであり、自業自得と言えるだろう。ただし、今回は他の者に足を取られたという彼には不運があったのだが。
 そういえば、あの男子生徒も点数は不合格だった。あの男子生徒からしてみれば、合格した神田が憎らしかったのかも知れないな。男はそう思った。

 男がしばらくぼんやりと、目の前の教科書や、ノートやらをめくっていると、職員室のドアをノックして、一人の生徒が入ってきた。男に用事があると言ってその生徒は男の机の前まで来た。そして男に、こう言った。
「実は、さっきの試験返却の時には言い出せなかったのですが、僕の答案は、点数が少し違っていました」
 男はその生徒のテストを見た。この生徒の答案は、男が意図的に点数を上げたものではなかったが、確かに数えてみると、本来なら、不合格になっているはずの点数だった。
「本当だ。本当に気づかなかったよ。お前は正直だな。まあでも、せっかくこれで合格になっているんだし、今回はもうこれでよしとしてやろう」
 男はそう言った。この男子生徒は、成績はそこまでよくはない。しかし、正直で、日常生活を規則正しく過ごしている珍しい生徒だった。だからこそ、気づいていれば救っていただろうなと男は思ったのだった。男子生徒は、しかしきっぱりと言った。

1 2 3 4 5