小説

『何の、糸』三号ケイタ(『蜘蛛の糸』)

 それからというものの、男はテストのたびに生徒の行いによって、点数を融通するようになった。A子は、この点数だと落ちてしまうが、この前掃除をちゃんとやっていたから、3点。B夫は、いつもだらしないが、自分から提出物を集めて持ってきたから1点。といった具合にである。不思議と、そうしてつけた点数には誰も何も言ってこないのだった。返却の時にいつも、男は水増しをしてやった生徒の顔をちらと見るのだが、何食わぬ顔で彼らはそれを受け入れているようだった。
 男は自分が何人もの生徒の成績を人知れず救ってやっているということに対してなんともいえない満足感があった。ただ、それとは裏腹に、どこか後ろ暗い気持ちがあるのも確かだった。そして点数をつけていくたびに、なぜそれをしているのか、男自身でも分からなくなることがあった。さらに、男には自分が何の仕事をしているのだかも分からなくなることすらあるのだった。そういう時は、まるで自分が先の見えない沼にでも沈んでいくような気分になっていくのだった。

 次の試験でのことである。男がいつもの通り、教卓に座っていると、一人、ぼんやりと手を止める生徒がいて、男はその生徒に興味をもった。よどんだ目をしたその生徒は、考えることをやめ、時が流れるのに身をまかせているようで、それがなんとなくでも今の男に妙に共感できて、ぞくりとした。こうしている間にも時計は進み、そしてこの時間は終わるだろう。ふと、男の脳裏に浮かんだのは、暗いところを進んでいく人間の姿だった。
 何かの終わりへと進んでいくのはどの人間にも共通している。しかし、そこに至るまで、その人間がどこを見て進んでいるのかによってそれぞれの目の前の世界は異なってくる。希望の将来を見ているのか、それとも絶望や、あるいはそれすらなく、何も考えずに見ているかの違いだ。
 そういう意味で、今の自分と目の前の生徒達は、同じ場所にいるのかもしれない。
 そう思った時、男は自分が見ているところが、画面の向こう側でもなんでもなく、自分が当事者そのものであると実感したのだった。
 男はそれからもしばらく、ぼんやりと前を向いていた。

 試験が終わると、男はいつもの通り男は点数をつけて、そして日頃の行いに応じて点数を融通してやった。中には、あの神田もいた。神田はあの試験の後もそう大して成績があがったわけでもなく、ただ毎日をぼんやりと過ごしていた。そうだから、この試験でもどうやら不合格になりそうだった。
 男は仕方がないなと思いながらも、一度は救ったのだから、と、もう一度だけ点数を少しばかり足してやった。そして返却していった。
「おい、何点だった。俺は不合格だわ」
 ふいにある男子生徒からそんな声が上がった。面白半分で彼は自分の点数を言った。横の生徒も点数を言った。

1 2 3 4 5