百日紅や楓、桜の樹々はてっぺんのあたりで枝が重なりあって地面にちょうどいい木陰を作ってくれていた。
雨続きのせいで庭がほったらかしになっていたので落ち葉を整理していた。
あっちのプランターをこっちにしたり地植えするために土を掘ったりの作業を続けていた時。ふと視線を感じた。それも垣根越しのとても低いアングルで。その低さがあまりにも怖かったのに、怖いものみたさの衝動でふと振り向くと。視線の先の正体はトカゲだった。よくみると尻尾が切れていた。逃げてきたのか。彼なのか彼女なのか定かじゃないけれど、やつはじっと星尾の眼をみて、微動だにしない。作業していた途中の土まみれのグローブのまんま、星尾はそのあるかなしかの瞳のあたりにくぎ付けになっていた。
なにかをみた途端にどこかのスイッチが入ってしまったみたいに、むかし暮らしていた黒猫の名でよんでいた。
呼ぶと、すこしだけその身をよじった。そのまますっと這って、歩を進めて、それでもだるまさんころんだみたいにおもむろに後ろを振り返って、背中越しのような姿で星尾をみながら、すたすたと垣根の向こうに消えて行ってしまった。
「やめてよ、そういうの。クロンって呼ばないで。ペットロスからやっとぬけだしたのムロちゃんも知ってるでしょ。ムロちゃんのみているのはと・か・げだよ」
妻の紅葉が、電子辞書片手に覗き込んでくる。翻訳をはじめたばかりだ。
時折、星尾はシミュレーションしてみる。紅葉がじぶんと年老いるまで一緒に暮らしている、とある一日の昼下がりの出来事などを夢想してみるのだ。
星尾はついこの間、会社を辞めてきた。上司の口癖、ゆーあーふぁいやーっを聞きたくなくて、言われる前に辞表を出した。
上司の林田が業績のデータを眉間に深い皺を刻ませながら見ている時に、星尾は彼のデスクに向かった。足取りはむろん軽くなかった。
「林田課長。お仕事中すみません」
林田は星尾の声がまるで聞こえなかったかのように、一度は無視した。いつまでもデータに視線を残しつつ、やっと星尾を見た。
「なに? これ」
星尾は辞表をデスクに置いた。
「ちゃんと、言って」
想定してしていたことだったけど、林田は驚く素振りさえせずに確証を欲しがった。
「は。あの辞めさせていただきたく・・・」
じぶんなりに、滑舌くっきりと言ったつもりだった。なのに林田は「聞こえない、もう一度」とダメ出しをして、星尾は二の句を継げなかった。
林田はどこまでも水平線に続く細い目をさらに細めて言う。
「おまえさ、 前から言いたかったんだけど。語尾がはっきりしないの、いっつも!それでよく外商務まったね。金持ちのおばさま達にかわいがってもらえると思ってたんだけどね。俺の見込み違いか? ま、済んだことは済んだこととして。星尾君、語尾がはっきりしないやつは大成しないよ。覚えといて。以上。これは受理しといたから、安心して」
後輩たちは、これはいわゆるトカゲのしっぽ切りですよ。星尾先輩が辞めるように仕向けられて、こんなの言いたくないし聞き飽きた言葉ですけど、パワハラの極みじゃないですか。業績悪いのは外商だけじゃないのに・・・」