小説

『と・か・げ』もりまりこ(『とかげ』)

 幹を揺らすと、しゃらりと音をたてながらこぼれる落ち葉。
 緑色だった葉っぱがいつのまにか枯れ葉色になっていて、つながっていた場所からふいに離れてゆく。まるで無所属だ。せいせいする風通しのよさ。
 落ち葉になっても、落ち葉としてまだ生きていて誰かが踏むと音を立てるところがいじましい。
 まぶしいほどの新緑や緑の季節は星尾にとっては、とても遠いものに思える。
 緑の葉が、視線の中でまぶしく反射する。それよりも生々しい生を脱ぎ捨ててしまった落ち葉の色や形は、瞳の中にその色が映っても馴染めるから好きだ。
 妻の紅葉が腰をさすりながら、湯飲み茶わんに昆布茶を入れて持ってきてくれる。
「あなた、お昼どうしますか?」
 台所から声をかけてくる。
「そうだな、ざるそばでも」
 たしかに、星尾はそう答えた。語尾まできっちりと答えたつもりだった。
 妻の紅葉は「はい、わかりましたよ、まもなく」と、機嫌のよさそうな返事をした。
 ただ、ふしぎなのは食卓を飾っていたのはざるそばではなくて、そうめんだった。
「そばじゃないね」
 星尾は言う。べつに非難しているわけではない。
「だって、そうめんっていいませんでした? あなた昔っから語尾がとぎれてむにゃむにゃするから。じゃあまたこんどはそばにしますよ」
 と、陽気に答える。

 バス停に吹きだまっているもみじの赤茶けた葉をみていて、ふいに思い出した言葉があった。それは決まって落ち葉をみかけると浮かんでくる。とある年老いた画家の言葉。
<枯れ葉ははじめっから枯れ葉だったわけじゃなくて、はじめは緑色だったんですよ、よくみるとうっすらと緑色が見えるでしょ>
 見えるひとにはみえるらしい。
 とくべつな眼差し。
 顕微鏡の中を覗いた世界を裸眼で表現できるのが画家というものたちなのか星尾はふかく興味を抱いた。
<だから、はじめから枯れ葉の色で描かないで、最初は緑で描いて色を重ねて落ち葉の色にしたんですよ。枯れ葉はじぶんですから>
 まるで俺じゃないかと呟く。

 築百年ほどの日本家屋に住まっている。廊下を歩く度にきしきしと音がした。
 ふすまの後ろを紅葉があるくと、スリッパがきゅきゅっと鳴る。
 床の間のあたりや違い棚のふぜいや欄間の透かしをみているだけで、どこかに帰って来た安堵感がおしよせる。そんな場所だった。

1 2 3 4