助手席の彼女は心地よさげに水の入ったペットボトルを頬に当てて目を閉じている。
「疲れてない?休もうか?」
「ううん。大丈夫。もう少しだと思うから」
「ここどこ?」
「もう少しよ」
質問には直接答えずにゆっくりと顔を上げた彼女は僕に少しだけ微笑むと前を向いて座り直した。
「君の実家はどんなところにあるの?」
「なんていうか・・・。すごく静かなところよ」
そう言いながら彼女は曇った窓ガラスを指でそっとなで、あとは黙って外を流れる景色をじっと見ていた。その姿は小さな子供が列車に乗って目に入るものすべて忘れまいと飲み込んでいる時のように見えた。久しぶりの帰省に緊張しているのだろうか。
「あ、あそこで止めて!!」
突然彼女が朗らかに声を張り上げた。
ヘッドライトで浮かび上がった灰色にそびえ立つ灯台が彼女の指差す先にそびえていた。灯台の前でようやく車を止めた。見上げるように周囲に張り巡らされた金網。何者かを閉じ込めるためにたてられたようなその灯台を眺める。「ここが君の家?」笑いながら問いかけた僕に彼女は「海の魔女の家」そう言って歌うように笑いながら車を降りた。
「ほら、海の香りがする。懐かしい・・・」
僕はあかりに照らされて広がった灯台を囲む草原を見渡す。光を散らして揺れる無数の草は暗い深海へと変化していく最中のようだった。
「どこにサカナが隠れているのかあなたわかる?」
そう言って彼女が髪をなびかせて走り出す。草原の中に入っていき、真っ黒な空ごと雨を受け止めるように手を大きく広げてくるりと回る。服は濡れてピタリと彼女に張り付いて彼女に合わせて揺れるスカートがまるで魚の尾ビレのように見えてくる。
僕は彼女の後を追う。僕の行く手を遮るように生えている草原をかき分けて進む。しっとりと濡れた草は水のように僕に吸い付いてくる。
「ほら見て、深海魚たちが泳いでいる」
どこからか彼女の声が聞こえてくる。
「どこにいるの?」
彼女からの答えはない。くすくすと笑う彼女の声が無数に聞こえてくる。いつの間にか草原の草が伸び、僕は海の底で泳ぐサカナのように移動していく。
「こっちよ」
雨に溺れるような気分になる。だんだんと呼吸が苦しくなる。ぼんやりと頭のどこかでなぜ彼女を追う必要があるんだと伝える僕自身の声も聞こえるが、歌うような彼女の声を聞くと吸い寄せられるように動いてしまう。
突然、草原がおわりぽっかりと空いた空間に出た。いつの間にか雨が止んで月が出ている。月光を浴びた彼女がゆっくりと僕に手を伸ばす。