「横浜です」
「ヨコハマ? そりゃホームの階をまちがえたんですよ」
栞はそう言われて必死に記憶を手繰る。たぶんあれだった。駅のエレベーターでホームまでのボタンを押した時、扉がフロアから少しずれていて、それでも跨げそうだったので、何階でもない途中あたり、つまりずれた階で降りたのだ。
そしてホームにはもう電車がやってきていたので待つこともなくそこに留まっていた車両に乗り込んだ。いつもなら飛び込み乗車しないでくださいって必ず怒られるのにだれもなにも言わなかった。それをいいことに乗り込んだらこんなはめに陥ったのだ。
「降りれますか? 途中で」
車掌さんは帽子に手をかけたままうーんとうなった。
「きわめて難しいんですけど」って言いながら「そんな人はたぶんいないんじゃの、じゃで言葉が詰まっているみたいだった。いきなりネジがとんでしまったみたいに間が空いた。太郎さんが言っていた時差かなって思って、おもむろに車掌さんの視線を手繰ると、彼は栞の膝の上に乗っていた本を眺めた。
「お客さん、もういやだな。切符持ってるじゃん?」
じゃん? って今言った? この人、ハマの人?
「え、なんですか?」
「ほら、その本。もういやだな。冗談しちゃって。試したでしょからかったでしょ。ワタシが新米だと思って。こんなふうにからかわれたの初めてですよ。それにお客さんのお持ちのそれは、もう毎年ここに参加できるフリーパス券ですから。それがあれば今日は降りれますよ」
1か所だけを照らす懐中電灯の鋭い光とともに車掌の指さす方をみるとさっき、ヤマナシがいらないからとくれた本だった。
栞はいつのまにかギンテツ号のチケット代わりの2冊あるうちの1冊を渡されていたのだ。いったいなんのために?
その時、咳払いが聞こえた。太郎さんだった。
「モンダイカイケツ」
「今、太郎さん疑問形で言ったの?」
また微妙な間があって「どっちも。疑問でもあるし肯定でもあるかな」と言った。
「今の人もそうなの?」
「車掌さんかい?」
「あぁあの人はニューカマーだよ。あたらしいうちはまだ人の輪郭が残ってるんだ」
相づちがむずかしい。太郎さんにとって至極当然のことが栞にとっては未知すぎて、言葉にしょっちゅうつまってしまう。
「で、聞いていい?」
「ああ。なんでも」
「太郎さんはいつ死んじゃったの?」
「・・・へへへ。びっくりするよ。川で死んだの。七夕の日にね。なんか釣りしてたら赤く光るものが見えたから、拾おうとしたらずぼってはまってね。あれはサソリかとかって思ったのがまずかったかな」
まるでそれってカムパネルラじゃないって思ったけど黙っていた。