小説

『間奏曲・平成』糸原澄【「20」にまつわる物語】

「さとるーあいしてるぞー」
「酔っ払い。早く行けって」
 聡は早紀に会釈したが、彼女の目は見れなかった。タイミングよく後ろから車が来たのですぐに発車してもらった。
「荻窪までお願いします」
 幼馴染が結婚するくらいで拗ねることなんてない、三十男がこんなことでイジケテみっともない、と言い聞かせた。結婚したくらいで、友人関係が変わるわけじゃない。けれど、何かが確実に終わるだろう。経験したことはないが、聡は知っていた。家庭を持つってきっとそういうことだから。
 深夜に急に呼び出して横浜までツーリングするなんてきっともうない。週末に時間を気にせずに飲むことだって、DVDを観たりゲームをしているうちに朝になることだって。馬鹿みたいに笑い合った、名前のつけられない時間の過ごし方だって。二〇一九年のラグビーワールドカップも、隣で観戦しているのはきっと自分じゃない。
 二十年は、失われてなんかいない。
 直視するのが眩しくて、切ないくらい輝いている。
 深夜の密室って自白剤でも漂っているのだろうか。環七を北上しながら気分はどんどん醒めていった。
「僕、平成元年生まれなんです」
 聡より三週間早く生まれた翔一はことあるごとに平成生まれを羨ましがっていた。聡は三週間だけ昭和を生きた翔一が訳もなくかっこよく見えたのだが。そんな平成も終わる。
「三十年、あっという間でした」
 運転手の感慨深げな声に、聡の何かがチクリとした。
「ゆとり世代なんです」
「ふふ」と運転手は穏やかに笑ってつぶやいた。
「勝手にゆとりを持たせて育てておいてね。ゆとりは貴方の教育方針だろって胸を張っていればよい」
 タクシーの空間って不思議だ。一人じゃないけれど一人だ。一人だけど一人じゃない。
 何かに似ていると聡は思って窓外の流れゆく景色をただぼんやり眺めた。南阿佐ヶ谷を抜けた所で工事をしていて、交通誘導員が忙しなく手で合図を送っていた。
 小さい頃、場立ちの手サインや取引上にひしめくサラリーマンの熱気に憧れて絶対証券マンになるって思っていたっけ。あの時きらめいていた数千人の場立ちや才取の人たちは失業してしまったのだろうか。長年積み重ねたスキルを一瞬で四角い箱に持っていかれて、昔はよかったと嘆いているのだろうか。あの頃なりたいと思った、輝いた大人に自分はなっただろうか。
 あっという間に三十年が流れ、六十歳になるのだろうか。
 ウィンカーの音で聡は今に戻った。

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