小説

『花嫁の便り』倉田陸海【「20」にまつわる物語】

 その音を聞いた時、僕はとても懐かしく思った。けれどもそれは日常的にどこかで聞く音で、実際にはちっとも懐かしくはなかった。何故そんなことを思ったのかは自分でもよく分からない。ただ、懐かしいと思ってしまったのだ。
 流れ続けるそのチャララ、チャララという音はとても大きく、耳の穴を通って頭の奥深くで鳴り響く。誰かの携帯電話が鳴っているのだろう、と僕は思った。昼間の繁華街など、やはり来るのではなかったと後悔する。大学の春休みほど暇なものはなく、暇つぶしにと外に出たのが間違いだったのかもしれない。
 音は相変わらず途切れない。そして妙なことに、耳元で怒鳴られるより耳障りな音がするというのに、通行人たちは何事も無いかのように涼しい顔をして歩行者天国を練り歩いていた。明らかにおかしかった。幻聴だとしても、果たしてこんなに大きな音がするものなのだろうか。そしてもっとおかしいことに、僕はだんだんと音が鳴る方向が手に取るように分かるようになってきていた。発信源はこの大通りではなく、もっと遠くにあった。幻聴でも、もしくは本当に鳴っていたとしても、発信源に行けば音を止められるかもしれない。少なくとも、なにが鳴っているのかくらいは分かるだろう。僕は大通りから外れて、音の鳴る方へ向かった。
 路地に入り、入り組んだその小道を、不思議な直感を頼りにして進む。やがて人気は完全に無くなり、辺りには例の音だけが響いていた。本当にこっちなのかという不安とは裏腹に、確かに近づいているという感覚が僕にはあった。それは間違いではなく、やがて一つの公衆電話のボックスに辿り着いた。辺りの住人全員が通報を入れるほどの大音量で音が鳴っている以外は、どこにでもありそうな普通の公衆電話だ。僕はボックスの中に入って、受話器を上げた。
「もしもし」
 先ほどまでの音がすっかり途絶えた。ようやく騒音から解放されると、今度は電話口からはほっとしているような、呆れているようなため息が聞こえてきた。
『取るのが遅いわ』
 聞こえてきたのは、若い女性の声だった。はっきりとした喋り方と、耳にすっと入ってくる落ち着いた声色をしている。しかし確かに澄んでいる女の声は、何十にも張られた膜を伝ってやっとこちらに辿り着いたみたいに、ぼんやりとしたノイズのようにも聞こえた。先ほどまでの音のせいで、耳がおかしくなっているのかもしれない。
「それはごめん。でも、これでも急いだ方なんだ」
『まあいいわ。それより、この公衆電話で話せる時間はきっかり一分なの。急で申し訳ないのだけれど、今から私の頼みを聞いてほしいの』
 彼女が言ったように本当に急なことで、僕はかなり混乱していた。電話を取ったら女性が出て、僕に何かを伝えようとしている。何が起こっているのかを頭の中で整理していると、電話口から『ねえ』と呼びかけられた。
『ちゃんと聞こえてる?』

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