小説

『また、20時。』柿沼雅美【「20」にまつわる物語】

「もう僕とはやっていけないって言われた時、ゆりかの進学はどうするんだ、ってまず言ったんだ。そしたら、ゆりかのことも家のことも大丈夫です、財産分与でもらいます、って。財産分与、なんて死ぬときにしか聞かない単語だと思っていたからそれもびっくりしたんけど」
 だらだらと話す僕に、彼女が、はい、と頷いてカクテルを今度は小さい口で含んだ。
「子供や仕事のことを真っ先に心配して、私のことはまた心配しないんですね、って。大の大人になんの心配かと思って言いかけたけど、そこで、あ、と思ったんだよ。結婚してからずっとそうだったんだって。それに気づいたのが遅くてね、あ、と思う前に、原因は何だなんて偉そうに聞いてしまって。10年前の浮気か、8年前の浮気か、と言ったら、そんなことしてたのねなんて言われて、墓穴を掘った」
 口が渇いた気がしてグラスに口をつけると、彼女は少し冷めた目で僕を見ていた。
「まぁだから、そういうことだよ。子供のことや仕事のことは考えても、夫婦がどうとかっていうのは正直考えてなかったんだ。考える必要もないと思ってたくらいだ」
 彼女が少し笑って、それはダメですね、と言った。そうだろう、と返すしかなかった。
 ふっと外のライトが白っぽく変わる。
「あ、桜のイルミって色変わるんですねーすごーい綺麗」
「君がそんなに喜んでいるなら付き合わせてしまったけど良かったかな」
「良いんじゃないですか。あと、余談ですけど、これから一人で住む部屋探したりとか、女性目線で何か必要なものがあったらお手伝いしますよ」
「女性目線で必要なものなんてあるのか?」
「いや、分からないですけど、だから余談ですけど」
 もしかして僕に少し好意があるのか、と聞こうと思ったら、視界の端からゆりかたちがまた歩いてくるのが見えた。
「あ、戻ってきてる」
 何か言いかけた僕を目線を拾って彼女がつぶやいた。
 ゆりかたちはさっきと同じようにスマホを自分たちに向けて、なにやら少し飛んだり笑ったりしているように見えた。
 もうここからゆりかの姿を見ることもないのかもしれない。そう思うと、親しみを感じている散ろうとしている花びらが少し恨めしく感じる。
「また、来ませんか、明日」
 彼女が外を見ながら言う。
「え、明日?」
「だって、今見てる桜、綺麗って思えてないじゃないですか」
 僕は、まぁ、と言葉を濁した。

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