小説

『砂利道』広瀬厚氏(『トロッコ』)

 すると真っ先に、良平にいちゃもんをつけた十円ハゲが、矢張りわあーっと声を上げて逃げていった。その後を追って他のはなたれ達も、もやしを置いて一目散に駆け出した。泣きじゃくるもやしと共に一人残った小太りの大将が、良平をじっと睨まえながら、もやしの手を引き最後に去った。
 良平は気を取り直して先へと歩いた。目の前を赤とんぼがすうっと横切った。風が吹いた。砂利道の傍らに生えるすすきの穂が揺れた。
 少し行くと小川が道に交差して流れる。小川にかかる木橋の上で彼は立ち止まった。水面に目をやる。水面が太陽の光を反射してきらきら煌めく。水面下に小魚が群れをなして泳ぐ。水草が流れにたゆたう。
 良平は土手に下り草の上腰を下ろした。川の中の世界に思い巡らせ、暫し空想逞しく膨らませた。水中の住人となった。魚と一緒にすいすい泳いだ。水中に家を作った、町を作った、国を作った、国王となった。小さな川に飽き、遠く大きな川へと向かった。良平は、更に遥か海を目指した。
 彼が土手の上思い耽っていると、頭上浮かぶ雲に日が隠れ、陰った。が、そのすぐ光戻った。彼は腰を上げ空を見上げた。そして砂利道に戻り、再び東へ向かい歩いた。
 砂利道は小高い丘へと入った。良平は坂を登った。林の中に道は続いた。木々に日差しが遮られる。鳥が盛んに鳴いてる。
良平は道をそれ、林の中に入って、地面に沢山落ちているどんぐりを拾って遊んだ。いろんな形のどんぐりがあった。気に入ったやつをズボンのポッケに詰め込んだ。
 ふと彼は、何だか分からないぐらいに腐った動物の死骸を目にした。ぞっとして、そこから猛然と走り逃げた。
 夢中で走る良平の前に忽然と不気味な沼が現れた。化け物が、ぬっと沼から顔を出して這い上がり、自分の足をぎゅっとつかんで、沼の底へ引きずり込みはしないかと、良平は恐怖した。怖さのあまり足が固まって、そこから毫も動けなくなった。もうだめだと思った。もやしに石を投げてけがをさせた自分に、ばちが当たったんだと、彼は思った。後悔した。涙が出た。えんえんと大きな声を出して泣いた。
 と、急に固まっていた足が軽くなった。足が動いた。今来た方へとがむしゃらに走った。するといつもの砂利道に出た。ほっと胸を撫で下ろした。西を向き、良平は家路についた。もやしのでこから流れた血、なんだか分からぬ動物の腐乱死体、なんとも不気味な沼、化け物………

 良平が幼稚園に上がる頃、一家は古い借家からニュータウンに越した。それからも事情あって、何度も彼は引越した。良平は今、妻子と共に郊外の小さな一軒家に暮らす。そこから毎日電車に揺られ、彼は会社へ向かう。仕事に疲れた帰りの電車の中、時折何故だか良平の頭に、古い古い記憶が蘇る。今もすっかり暮れ落ちた中、混み合う電車に揺られて、ひとすじの細い砂利道が良平の心に断続する。………

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