小説

『youth』村崎えん【「20」にまつわる物語】

 彼女が呆然としているので、茉奈美は隣に立ってフェンスをシャンシャンと二回揺らした。金属音を聞いた柴犬はゆっくりと顔を上げ、茉奈美たちの方へトボトボと向かってくる。
 十五メートルはありそうな、とんでもなく長い鎖に繋がれているから、工場の駐車場内で好きなように身動きが取れるだろう。ほとんど自由だ。だけど、自由じゃない。茉奈美は、力なく歩いてくる柴犬を見る時いつも、なんとも言えない気持ちになった。今の自分と似ている気がしていた。
 だけど、と、茉奈美は同時にこうも思った。本当に今だけだろうか。ずっと、結局ずっと、繰り返すんじゃないだろうか。高校を出ても、大人になっても。変わるんだろうか、何か。
 ハタチになったら。唐突に浮かんだ「ハタチ」という言葉に、茉奈美は思わずハッとした。北村真智の口癖だった。ハタチになったら。どこどこに行くの、なになにになってるの、なんでもできるの。そうやって、馬鹿みたいに聞こえる話を真面目にする子だった。たったのあと四年ぽっちで、北村真智の言っていた通りになるとはとても思えなかった。やっぱり馬鹿みたい。
「わわ!マジに柴犬じゃん!」
 素っ頓狂な声に、茉奈美はビクッと右隣を見た。ルールルルの彼女は、驚いたように目を見開いて茉奈美を見ていた。茉奈美と目が合うとすぐに破顔し、しゃがみ込み、フェンス越しの柴犬に顔を近づけた。
「ねえねえ、キタキツネじゃなかったじゃん!私ずっとキタキツネだと思ってたよ!ねえ、ずっと知ってた?皆知ってる?」
 子どもの様に無邪気に笑って茉奈美を見上げる女の子。ごく普通に、自然に、自分に話しかけてくれる女の子。茉奈美は、泣きそうになっている自分に気づいて思わず顔を背けた。喉の奥がきゅうっと痛かった。そうして、寂しかったんだと認めることができた。入学してからまだ数か月しか経っていないのに、私は、とても弱い人間だったんだと、認めることができた。
「どう見ても柴犬じゃん。誰がキタキツネを、こんなざっくりした環境で飼うかって」
 茉奈美がそっぽを向いたまま答えると、「ダッハッハ!」女の子は豪快に笑い、
「私さー、超近眼なんだー。このガッコ入るためにめちゃんこ勉強したから。……って、なんでやねん!」
 そう言って、また笑った。
「本当はさ、I高行きたかったんだけど数学が壊滅的にできなくて。あとの教科で満点取らなきゃ無理だってセンセに言われて、そんで諦めたの。あーあ、あのブルーのリボン憧れだったんだけどなー」
 茉奈美が目を丸くしていると、
「アカリって呼んで」
 女の子は立ち上がり、手を差し出した。茉奈美はその手を握る。ピタリと合わさった手は、とても他人のそれとは思えないほどにしっくりと、茉奈美の手と重なった。

 
 茉奈美は明香里に対して時折、ずっと昔からの親友だったんじゃないかという錯覚を抱いた。それほどまでに気が合った。これまで、出会っていなかったことの方が異常だった、自分がI高を諦めてここに来たのは明香里と出会うためだった、とすら思った。

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