小説

『ユア・アイズ』もりまりこ【「20」にまつわる物語】

 「雑踏歩くん早なったな」って玄に言われたことがあった。
「そんなに遅ないわ?」って返すと、「たらたらたらたら、歩いてはったで」って玄は笑った。
 映は自覚している。たらたらたらたら。そんなステップをずっと踏んでいたかった。基本的にいまだって変わらない気がする。ただいま少しだけこの速度が加速した意味は、よそのひとがこわいからかもしれない。
 すれちがうひとが、だれしもしらない人ばかりで。早く駆け抜けてしまいたくなる。そして雑踏を歩いていると根拠のない、負け感に満ちていてどうしようもなくなる。

 ちいさな道の横町を右に曲がって、通りの店の裏あたりから流れてくる換気扇のこもったにおいに立ち止まる猫。枯れかかった植木鉢。まがったようにみえる電信柱。どこかの夕暮れのこどもたちが描いたアスファルトのチョークの線路。それを見ながら、通りを左に曲がるとむかし散髪屋さんだったはずの敷地が空き地になっていた。そこには四角く網が張られていてその網の目の結び目にしぼんだ風船が、かたく結ばれている。
 地下街に入ると、空気が変わる。電車のアナウンスと空調が入り混じる。曇天気分。たぶん前から歩いてくるあのひとはじぶんにぶつかってくるだろう。
 雑踏を歩いていると、息を吐きっぱなしのような途切れのなさにまみれてしまう。 

 雑踏がなんやって?
 えっ?
 もうええよ。独り言やねんから返事せんといて。
 25メートルのプールでクロールを潜水で泳ぐみたいな感じやろう?
 聞いてたんやん。
 耳だけきいてた。映ちゃんらしいなって。
 だって、あの場所って、みんな他人があつまってはんねんで。だからな、絶えず、よそよそしいって感情にまとわりつかれて。そやから雑踏は嫌いなん。
 でも映ちゃん。デパ地下やってたいていがよその人やで。それやのに映ちゃんいつやったか、デパ地下に住みたいって言ってたやろう。あれはどやねん。
 だからみんなよそのひとが帰りはってから、こっそり住んでみたいねんって。
 この世の中はね。
 なにかしこまってんの?
 つまり、みんなよそのひとで成り立ってんねんって。映ちゃんほんまぴゅあやな。
 やめたって。そういうの。映ちゃんあほやなって言われてるみたいやん。でな、それはそうとあの人。写真のひと。名前はなんていうん?

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