小説

『二十世紀のポルターガイスト』日影【「20」にまつわる物語】

“お母さん、ゆっくり食べるのよ”
 夢中でまんじゅうを頬張る母。まんじゅうを喉につまらせ、苦しがる母を見て、娘は小さく笑った。
“ほら、だから言ったじゃないの”
 微笑みながら母の背中をさすろうとするが、カゲロウのように透明に透き通った手は、母の背中を空しくすり抜けてゆく。
 助けを求めるように大きな瞳で父を見上げるが、父はその場に佇んだまま、身動きひとつしなかった。
“お父さん?”
 苦しみに耐えかね、うずくまる母。
“お父さん!”
 ハッと我に返り、妻にお茶を飲ませ、背中をさする。
“お父さん……”

◇◇◇

 テレビでは年の瀬を告げる番組。
 一点を見つめたまま物思いにふける父の顔を、娘はただ見つめた。
 父の心が痛いほど鮮明に見えた。
 何を考え、これから何をしようとしているのか。
 そのすべてが手に取るように分かる。
 父は、母と一緒に死のうとしているのだ。
 でも、無力な自分には、何もできない。
 ただ、ふたりの姿を見て、泣くことしかできない。
 娘は両手で顔を覆い泣き出した。
 黒髪が蛍光灯に妖しく光る。
 かすかに聞こえてくる低い嗚咽。
 ゆっくりと顔を上げた。
 眼の前で父が泣いていた。
 泣いている父の顔を見るのは、自分のお葬式以来だった。
「ごめんよ……ごめん……もうすぐ、会えるから、だから、ゆるしておくれ」
 仏壇の前で泣き崩れる父の背中。
 堪えきれず、娘は立ち上がった。
“死んじゃだめなの!”
 それは完全な静寂の叫び声。
 涙がとめどなくあふれ出す。
 父は立ち上がると、タンスから薄ピンク色の細い帯を取り出した――あまりにも悲しい選択――必死に止めようと、娘は何度も父の前に立ちはだかる。でも、だめだ。儚く、その前を通り過ぎてしまう。
“お父さんお願い! やめて!”
 除夜の鐘が遠くで鳴っている。
 母の首に帯を巻く父。
 もがく娘の腕は宙を舞う。
 すべては夢と現実のように、決して交わらない。
 髪を撫で、ごめんよ、と老人は妻につぶやき、帯を持つ手に力を込めた。
“神様!”
 娘は叫んだ。心の底から、叫んだ。
 瞬間、テレビから音を立てて、火花が散った。

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