“お母さん、ゆっくり食べるのよ”
夢中でまんじゅうを頬張る母。まんじゅうを喉につまらせ、苦しがる母を見て、娘は小さく笑った。
“ほら、だから言ったじゃないの”
微笑みながら母の背中をさすろうとするが、カゲロウのように透明に透き通った手は、母の背中を空しくすり抜けてゆく。
助けを求めるように大きな瞳で父を見上げるが、父はその場に佇んだまま、身動きひとつしなかった。
“お父さん?”
苦しみに耐えかね、うずくまる母。
“お父さん!”
ハッと我に返り、妻にお茶を飲ませ、背中をさする。
“お父さん……”
◇◇◇
テレビでは年の瀬を告げる番組。
一点を見つめたまま物思いにふける父の顔を、娘はただ見つめた。
父の心が痛いほど鮮明に見えた。
何を考え、これから何をしようとしているのか。
そのすべてが手に取るように分かる。
父は、母と一緒に死のうとしているのだ。
でも、無力な自分には、何もできない。
ただ、ふたりの姿を見て、泣くことしかできない。
娘は両手で顔を覆い泣き出した。
黒髪が蛍光灯に妖しく光る。
かすかに聞こえてくる低い嗚咽。
ゆっくりと顔を上げた。
眼の前で父が泣いていた。
泣いている父の顔を見るのは、自分のお葬式以来だった。
「ごめんよ……ごめん……もうすぐ、会えるから、だから、ゆるしておくれ」
仏壇の前で泣き崩れる父の背中。
堪えきれず、娘は立ち上がった。
“死んじゃだめなの!”
それは完全な静寂の叫び声。
涙がとめどなくあふれ出す。
父は立ち上がると、タンスから薄ピンク色の細い帯を取り出した――あまりにも悲しい選択――必死に止めようと、娘は何度も父の前に立ちはだかる。でも、だめだ。儚く、その前を通り過ぎてしまう。
“お父さんお願い! やめて!”
除夜の鐘が遠くで鳴っている。
母の首に帯を巻く父。
もがく娘の腕は宙を舞う。
すべては夢と現実のように、決して交わらない。
髪を撫で、ごめんよ、と老人は妻につぶやき、帯を持つ手に力を込めた。
“神様!”
娘は叫んだ。心の底から、叫んだ。
瞬間、テレビから音を立てて、火花が散った。