「うん、いるよ。彼はね、僕にとって兄であり、弟であり、友であり、家族でもあるんだ」
「……とても、大切な人なんだね」
「うん。そうだ。とても大切なんだ」
兄であり、弟であり、友であり、家族でもある。
彼にとっての大切な人が何者であるか想像もつかないけれど、慈しむような年似つかわしくない表情に、想いの深さを感じることは出来た。
少年が窓の外を見る。つられて目を向ける。天の川を過ぎた鉄道は、星の原を駆けてゆく。煌きをまとった足の長い鳥が、一斉に羽ばたいた。夜空を覆う星となって流れていく。
「ああ……きれいだね、」
兄さん、と零れ落ちた言葉に、息をのんで口を押さえる。
――私は今、何と言ったのだ。
向かいに座る少年は、私の言葉を聞いていたはずだったが、見向きもしなかった。
窓に立てかけた押絵を見る。判然とした理由はないが、表に向けることが怖ろしかった。額に触れただけで良からぬ心持になってしまいそうで、もはや触れることも叶わない。
「何か、匂いがしないかい? これは何の匂いだろうか」
鼻につく香りに話を変えた。少年は振り返ると、静かな顔で私を見つめる。やけに黒々とした目は、まるで水のように揺らめいて、けれど底が見えない怖ろしさを秘めていた。甘い、芳醇な香りが強く広がる。
「おじさん、本当に何の匂いかわからない?」
「あ、ああ……」
少年の感情のない問いに、掠れた声で答える。
「やまなしだよ」
彼は言った。
「あの時、やまなしの甘い香りが、いっぱいに広がっていたじゃないか。おじさん、覚えていないの?」
「あ――――」
思い、出した。
そして意識は、暗い、深い、冷たい、水の底へ沈む。
やまなしの香りが、夜に満ちていた。