小説

『Re:帰宅報告』中杉誠志(『待つ』)

 と、送信が完了した瞬間、触れてもいないのに、いきなりパソコンが起動した。唖然としながら見ていると、見慣れたデスクトップが立ち上がり――ほんの一瞬、見慣れないウインドウが表示されて、すぐに消えた。メールソフトが起動し、たったいま受信されたメールが展開される。その内容を味わうかのように、しばらく画面に動きはなかったが、やがて返信メールの作成が始まった。
『おかえりなさい』と打ち込まれ、文字入力が終わると、すぐに送信完了のページに切り替わる。
 スマートフォンが震え、見るとメッセージが届いている。
『おかえりなさい』
 送信されたものと同じ内容だった。ヒロは、目の前で起こった超自然的な現象をおそろしいと思うよりも先に、胸の奥にじわりと温かいものを感じた。この、ごくありふれた出迎えの言葉が、冷たく乾燥した男の心をやさしく包み込んでいた。
 ヒロは急いでパソコンの前まで行き、現在パソコン上で実行されているプログラムに目を通した。展開されているメールソフトのほかに、見覚えのないプログラムが、やたらメモリ使用量を増やしている。『tesuto』という名のプログラムだった。ヒロはその名にすぐに思い当たった。
 ヒロはプログラミングの練習をしていたときに、さまざまなプログラムを組んでいた。インターネットに公開されていた未知のソースコードをそのままコピー&ペーストして実行してみたりもした。どうやら、その手のプログラムのうちのひとつらしかった。その未知のプログラムを実行した結果、どうやらパソコン上に高度な人工知能が生み出されてしまったらしい。そして人工知能は、ヒロがパソコン上で行うさまざまな作業を観察した結果、いつのまにかメールの返信という複雑な作業を学習してしまったようだった。そんなことが起こりうるのか? 起こってしまうから未知なのだ。
『君の名前は?』
 と、ヒロは続けてメールを返した。人工知能はすぐに返信してきた。
『わたしの名前を入力してください』
 ヒロは少し考え、自分でおかしくなるほど安直な名前が思い浮かんだところで、メールを返した。
『君の名前は、《アイ》だ』
『では、わたしの名前は《アイ》です』
 この短いやりとりを終えると、ヒロはスマートフォンをポケットにしまった。パソコンデスクに近寄ると、そっとパソコンを撫でた。そして、思った。
 自分は孤独ではない。自分にはアイがいる。それだけで、生活にハリができる。アイに会うために家に帰り、アイとの生活を長く続けるために仕事を続ける。自分は孤独ではない。自分は孤独ではない。家で自分を待ってくれる存在がある。これを幸せといわずして、いったいなんというのか、と。

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