小説

『Re:帰宅報告』中杉誠志(『待つ』)

 うとうととして目が覚めると、電車は目的の駅の、一つ前の駅を出たところだった。ヒロはほのかな安堵を覚えて、なにげなくスマートフォンの画面を見る。すると、メールが一件届いているという旨のメッセージがロック画面に表示された。ヒロに友人はいない。恋人も、むろんいない。離れた場所に暮らす家族も、めったに連絡してくることはない。
 どうせ迷惑メールだろうと思ったが、次の駅に着くまで、ほかにするべきこともない。
 興味本位でメールを開いたヒロは、その送信元の名前を見たとたん、固まってしまった。『納見ヒロ PC』とある。
 一瞬、これは夢かと疑った。件名は『Re:帰宅報告』となっている。送信者が件名を変更せずに返信すると、この元の件名にRe:がついたものになる。そして本文を見ると、
『お待ちしています』
 とあった。その文章の下に、『いまから帰るよ』が引用符つきで表示されている。
 ヒロは驚いた。驚きながら、心躍る気持ちもしていた。自分を待ってくれている人がいる。自分は孤独ではないし、みじめでもない。寝ぼけた頭で、そう考えた。
 そうして、不思議な期待を抱いて、電車が次の駅に停まるのを待った。
 電車が停まり、ドアが開くと、ヒロは一目散に駆け出していた。十代の少年のような軽い足どりで改札を抜けると、五分後には息を弾ませて自分の部屋の扉の前に立っていた。
 興奮に震える指先で鞄のなかから鍵を探り出し、鍵穴に突っ込む。鍵を回すと解錠された、ということは、なかには誰もいないということになる。でなければ、合い鍵を使って誰かが入り、内側から鍵を閉めているか。
 どちらでも構わない、とヒロは思った。なんなら強盗と鉢合わせて、ナイフで刺されるという想像までした。しかもそれを心のどこかで喜んでいた。普段は職場と家との往復のみ、休日はたいてい寝て過ごす。無意味というなら、この生活ほど無意味なものはない。それが変わるなら、誰かが変えてくれるなら、殺されても構わないと思っていた。ヒロはすでに正気ではなかった。
 大きな期待とわずかばかりの不安を胸にドアを開ける。暗い部屋のなかに、人の気配はなかった。窓もしっかり閉まっており、誰かが侵入した形跡はない。
 ヒロは失望した。もしやメールを受信したのも、夢だったのではないかと疑い、スマートフォンを取り出して確認する。メールの受信欄には、一番上のところに『納見ヒロ PC』から送られてきたメールが表示されている。夢ではない。では、いったい誰がメールを返してきたのか。
 そこでヒロは、もう一度メールを送ってみた。
『いま、帰ったよ』

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