小説

『不完全変態』緋川小夏(『変身』カフカ)

 よく見ると白い体に白い羽を持った虫たちが、箱の中でひしめき合っていました。羊歯の葉に似た触覚と複眼を持ち、手足は細く短く、動きはとても緩慢。皆、むっちりとした背中にある役に立たない羽を持て余しているようです。
 その滑稽な姿は、かつてどこかで見たことがあります。でも思い出せません。私は目の前に突き付けられた現実に戸惑い、途方に暮れるばかりでした。
 箱の中で折り重なるように蠢く仲間たち。きっと私も同じような姿をしているのでしょう。その姿は、やはり見覚えがあると確信しました。小学生の頃クラスで育てていた、蝶でも蛾でもない、羽の生えた白いあの虫……。
 そのとき脳内に閃光が走りました。
 蚕です。
 私は蚕になったのです。
 繭玉の中で蛹になった私は、やがて成虫へと変態を遂げました。そして蚕蛾となって、再びこの世に生まれ変わったのです。
 深い霧が晴れるように、少しずつ理科の授業で習ったことを思い出してきました。蚕は人間から餌を与えられなければ死んでしまう生き物です。自分で餌を確保することができないので、野性では決して生きられません。
しかも成虫となった蚕は餌を食べることもできません。何故なら蚕蛾には口が無いからです。蚕蛾は水も飲まず眠りもせずに、栄養を摂取しないまま交尾をして、あとは卵を産んで死ぬだけの生き物なのです。
 やがて大きな触覚を持ったオスの蚕蛾が、私に近づいてきました。いよいよ交尾が始まるのでしょう。その瞬間だけ、チクリと胸の奥が痛みました。でもそれはほんの一瞬で、すぐに頭の中は無になりました。
愛なんて、いりません。だって私はもう虫になってしまったのですから。
 交尾を終えると、ほどなくして私は粟粒のように小さな卵をたくさん産みました。産んでも、産んでも、体の中から際限なく生命の粒が産み出されてゆきます。まわりの仲間たちも同じように交尾をしては、無数の卵を産み付けています。それは実に壮観な光景でした。
 それが終わると、お役御免です。力尽きた私は、その場に倒れこんでしまいました。

 ああ。
 だんだんと目が霞んできました。
 いよいよ最期の時がきたようです。私は目を閉じて、虫として天寿を全うする悦びに打ち震えました。
 神様、ありがとうございます。私を虫にしてくださって。さようなら、皆さん。さようなら蚕蛾となった私。そして私が産んだ、たくさんの卵たち。

 それなのに。一体、何なのでしょう。体の奥底から湧き上がる、このモヤモヤした気持ちは。せっかく完全な変態を経て、念願の虫になれたのに。

 誰かおしえて下さい。
 私は本当に幸せだったのでしょうか。

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