小説

『不完全変態』緋川小夏(『変身』カフカ)

 体を動かすことも、少しずつ億劫になりました。喋るのも面倒です。何をするのもだるく、やる気が起きません。やがて私は今まで経験したことのない強い倦怠感に襲われるようになりました。
 たくさん寝ているはずなのに、とにかく眠たい。いつも浅い夢の中を漂っているようで体がフワフワします。時間の感覚が曖昧になって、起きていても今が朝なのか夕方なのか見当もつきません。
 食事を摂らず、お風呂にも入らずに、私はベッドに横になってうとうとしながら眠り姫の如く日々を過ごしました。
 そんな私を見て父は激怒し、母は訳のわからないことを叫びながら泣き崩れました。けれどもどれも安いドラマの芝居を観ているようで、まるで現実感がありません。両親は力ずくで無理やり病院へ連れて行こうとしましたが、私はそれを全力で拒絶しました。
 何かの宗教のような祈祷をされたこともありました。でもそれさえも夢うつつの中にいる私には、子守唄のように聴こえるばかりでした。
 ある日、私はベッドの上で仰向けになり、宙に向けて細い糸を吐きました。
 吐きはじめたら止まらなくなりました。私は髪を振り乱し上半身を大きくくねらせながら、糸を吐き続けました。糸はカーテン越しに差し込む淡い光の中で煌めいています。そのあまりの神々しさに、思わず恍惚となりました。 
 喉の奥から勢いよく放たれた糸は、やがて私自身を静かに包みはじめました。静かに雪が降り積もってゆくように、糸は白い繭となって私の体を覆ってゆきます。私は眠ることも忘れて一心不乱に繭作りに没頭しました。
 完成した繭の中は暗く温かく、とても静かでした。とてつもなく平和で穏やかな、まさに楽園です。何よりも、私一人で世界が完結しているのが素晴らしい。外界から完全に遮断されたここは、母の胎内そのものだと思いました。
 私は誰にも邪魔されることなく、安心して、ぐっすりと深い眠りに就くことができました。

 どのくらい眠っていたのでしょう。長い眠りから目覚めて、再び外に出るときが訪れました。
 繭玉から這い出した私の背中には、二枚の羽がありました。私は自分が蝶になったのだと思いました。今までの人生は仮の姿。私は自分が蝶になって、咲き誇る艶やかな花から花へと自由に飛び回る姿を夢想しました。
 でも繭から生まれたのであれば、もしかしたら蝶ではなく蛾なのかもしれません。それはそれで構わない、と思いました。とにかく羽があって空を飛べるのであれば、何だって良かったのです。
 でもそれは、どちらも間違いでした。
 背中に羽はあるものの、私は飛ぶことができませんでした。必死に羽を動かしてみても、何の変化も起こりません。
 それだけではありません。私が目を覚ましたのは、今まで見たこともない大きな木箱の中だったのです。たしかに自分の部屋のベッドの上で繭を作り、その中で眠っていたはずなのに。

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