小説

『ローアングル蜘蛛の糸』柘榴木昴(『蜘蛛の糸』)

 だがそこは地獄の一丁目を背負う鬼監督。必殺の芭蕉扇をとりだして豪快に仰ぐと血の池が竜巻となって鬼も罪人も何もかもを飲み込んでいく。
「小癪な人間風情が、地獄の中で地獄を見せてくれるわ」
 だが犍陀多は糸を自分に絡みつけ、ぐるんぐるんとまわる竜巻の風に乗ってさらに登り、いや飛んでいく。
「おのれ、おのれおのれ」
 森羅万象百鬼丸は、巨大なカラスに化けて飛び立った。
 だが巻き上げた罪人やら鬼やらが降ってきてうまく飛べない。さらに犍陀多が鬼の首を空でつかんで投げてよこしたのが、どかんと命中して錐もみしながら墜落してしまった。もう奴めは地獄と空の境界線を越えてしまう。しかも芭蕉扇で巻き上げた罪人の何人かは再び糸にしがみついて登っている。慌てて火を吹いたがとうてい届かない。
「くそ、くそっ」
 逃がしてしまった。逃げ切られてしまったのだ。
 目をつけた途端のことだったこともあり、悔しさも倍であった。腹いせに金棒を振るって山になっている人間を吹っ飛ばす。だが人が人の上を駆け上がり糸に次々手を伸ばす。視界にはもう、糸の光は見えなかった。あるのは人間の、魍魎と化した人間どもの血なまぐさい争いだった。
「地獄だ」
 森羅万象百鬼丸がため息交じりに声を漏らした。他の番守に、いや閻魔大王に知らせなくてはいけない。糸が焼け落ちても尚、亡者どもは人間の塔を築いてゆく。現場を離れるわけにもいかない。薙ぎ払っても火を放っても、落ちる人間より登る人間の方が多い。いったいどうしたもんだと考えあぐねていると、わあっと叫び声の合唱が起こった。それからすぐに罪人共が降ってきた。山は崩れ鬼ごと雪崩こんでくる。ぼとんぼとんと血の池にあふれた人間の上に人間が落ちてくる。森羅万象百鬼丸も慌てて逃げ出して振り返ると、くるくると回りながら、独楽のように犍陀多も落ちてきていた。どうやら糸が切れたらしい。針の山に登って検めると、蜘蛛の糸は月も星もない空の中途で揺れていた。
 遠い遠い三千世界の果ての果て。空を仰ぐと微かに人影が揺れたように見えた。
 森羅万象百鬼丸は小さく頭を振って、鬼と罪人の阿鼻叫喚の渦中にむかって針山を下りはじめた。

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