手洗いが終わると、トイレの外で、掃除当番だった女子がひとり泣いているのが見えた。もうひとりも神妙な表情をしている。
「どうした」
僕は声をかけた。泣いていない方の女子、松本が言った。
「トイレに血が流れてた」
「血?」
「怖がって、コトミが泣いちゃって」
コトミ、は泣いている女子である。木下コトミ。
「まじ?超こえーじゃん、まじ?トイレから血が流れるの?」
加藤が首を突っ込んでくる。その騒ぎ声を聞きつけたクラスメイトたちが、どんどん集まってきた。
「女子トイレから血が流れてるって」
盛り上がる生徒たちをかき分けてやってきた、趙杏(ちょう・しん)が、泣いている木下とそれに寄り添う松本の腕を両手につかんで言った。
「説明するから、ちょっと来て」
趙にふたりが引きずっていく感じで、女子3人は図工室の方へ消えた。
「趙、超うぜぇ」
男子の誰かが言い、数人が笑った。
趙は、クラスのリーダー的存在の女子だった。両親が中国人。趙が苗字で、杏が名前だ。背が高くメガネをかけていて、勉強ができる。体育も音楽も図工もそれなりにできる。字もきれいだし、給食も残さない。彼女が日直の日は、帰りの会がスムーズで早く終わる。まさに優等生だ。6年に姉がおり、生徒会の副会長をしている。趙杏も、来年には生徒会に入るに違いない。
「トイレの花子さんじゃね?」
加藤が調子に乗ってしゃしゃり出る。
「血の涙を流す女神像がいるって、テレビで見たもんオレ」
おばけの花子と聖母マリアを一緒にするあたりが、加藤っぽい。
「なんか気持ち悪い」
ひとりの女子が口元を手で押さえて言う。
「そういえば、最近いろいろ変じゃない?」
「変って?」
「黄色のおじいさんも、ひとりいなくなったし」
黄色のおじいさん、というのは、学校近くの横断歩道で旗振りをしている、ボランティアの老人の総称だ。黄色の帽子をかぶっていることに由来する。
「あのおじいさん、冬休みに病院で見たよ。車いすで点滴してて、入院してるっぽかった」
「もう、本気のじいちゃんだったからダメなんだ。女子だけひいきする、嫌なやつだったし」
「3年3組の先生、2学期に辞めたよね」
「学級崩壊させた生徒のせいらしい」