日に十数人からの同胞が、飢えとと寒さのなかで死んでいく。自分もいつかそうなるものと芳一郎は確信していた。それがたまたま今日であっただけなのだ。しかし、飢えでも寒さでもなく、木々から復讐されて死ぬのは、いかにも滑稽な気がした。
芳一郎は頭を上げた。雪の上に正座をし、背筋をぴんと張る。それから、古来死にゆくつわものどもが辞世に際して和歌を詠んだように、彼も即興で三十一文字の遺言を口にした。
「ふるさとよ ドスビダアニヤ われ眠る 雪の大地に 墓石もなく」
ドスビダアニヤという、異国で覚えた別離の言葉を入れたのは、故郷に永遠の別れを告げるという意味があった。一瞬、幼き日に死に別れた父母の顔がちらついた。芳一郎のなかに、もはや生への執着は毫もなかった。明日から強制労働に従事させられることがなくなると思えば、清々しくもあった。恐怖もなく、後悔もなく、未練もなく、ただただ死を待つのみだった。
ところが、その死はなかなかやってこない。かえって遠退いた。
「待て。いまの呪文はなにか」
と隊長の木が問うた。芳一郎は児戯に等しい時世の歌を聞き咎められたのを意外に思いつつ、呪文の類いではないという旨を答えた。
「わが故郷では、死に際して歌を詠みます」
「ほう……」
興味深げに息を漏らしたのは、先ほど殺せと強く主張した木である。
そういえば、木々は枝で歌う鳥の声を間近に聞く。もしかすると、歌には同情があるのかもしれぬ。
芳一郎は、おかしな話だと思いながら、おかしいといえば木々と口をきいているこの状況ほどおかしなものもないと思い直した。そうして、異国の木々相手に講釈するのも冥土の土産になると思い、自分の知っている時世の歌を、続けていくつか紹介した。
そのなかで、
「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」
という細川ガラシャの時世の歌を聞かせたときには、やはり相手が植物だからだろうか、
「『花も花なれ』というのがよい」
という批評が出て、しかも周囲の木々たちから大いに賛同を得ていた。
そこで芳一郎は、時世の歌ばかりでは味気ないということで、知っている限りの植物に関する和歌を諳じてみせた。
「花の色は 移りにけりな いたづらに 我が身世にふる ながめせし間に」
「梅が枝に 鳴きて移ろふ 鴬の 翼しろたへに 沫雪ぞ降る」
「神な月 風に紅葉の 散る時は そこはかとなく 物ぞ悲しき」――
そうこうしているうちに、芳一郎と木々はだいぶ親しくなった。