小説

『ようこそ! 二十番街へ』間詰ちひろ【「20」にまつわる物語】

「ちょっと、やっぱり、帰りたいんですけど……。いまからじゃあ、ムリですか?」
シカダはチロリと首を後ろに向けたものの、またすぐに前をみて、「無理ですね」と、冷たく言い放った。
 キクコは後悔した。なんで、こんな得体の知れない場所にホイホイついてきてしまったんだろう……? 元はと言えば、アイツと別れたせいで、むしゃくしゃして、どうでも良くなっちゃったんだ……。ひざの上でギュッと両手をぎゅっと握りしめ、キクコはうつむいていた。マイクロバスの車内が冷凍庫のように冷たく感じられ、キクコはずっと震えていた。
 その時、マサルがキクコの拳の上に、そっと手を置いた。マサルの手は温かく、凍りついて、二度と開かないんじゃないかと思うほどに握りしめていた手に血の気が戻ったように感じられた。マサルはズボンのポケットからこっそりと、小さな紙切れを取り出して、キクコに渡した。キクコはマサルの顔を見たが、マサルは何も言わず「とにかくメモを見て」と言わんばかりに少しだけ、あごを突き出す仕草をした。キクコは震える手を押さえながら、どうにかして紙切れを開いた。中には、小さな文字で、こう書かれていた。
「橋を渡り切るまえに、逃げ出そう」
 キクコはチラリとマサルを見ると、マサルは唇をきつく結んで、ちいさく頷いてくれた。

 ……橋を渡りきる前に。とにかくここから逃げ出さなきゃ行けない。
 キクコは、マサルを信じるしかなかった。このまエリの車に乗り続けて「二十番街」へは行ってはいけないということだけが、頭の中でぐるぐると回り続けていた。
「みなさま、お待たせいたしました。もう間もなくの、到着となります。いまから見えてまいります橋を渡りましたら、二十番街の入り口となります。降りる支度をして、もうしばらく、お待ちくださいませ」
 笑いを堪えきれないとでも言わんばかりに、シカダがクスクスと笑いながらアナウンスをした。キクコはマサルの顔をみたが、マサルはキクコとは目線を合わせることはなかった。ただ、緊張している様子が、くりくりとした目の中にはっきりと浮かんでいることがキクコには分かった。
 そして、車は橋を渡しはじめた。
 その橋の下には、当然のことながら川が流れていた。轟々とうなり声すら、あげている。ちょうど台風のときにテレビで見るような、荒々しく、川そのものが命を兼ね備えている生き物のように感じられた。川の様子を、少し怖いと、キクコは本能的に感じた。
 その時だった。マサルがキクコの手をぐっと握り、マイクロバスの扉をスライドさせた。
「キクコさん、飛び降りるよ!」
 マサルは大きな声で叫んだ。マサル自身の体は、もう上半身は外に身を乗り出していた。
 キクコは、一瞬怯んでしまった。この川の中に飛び込むの? 飛び込んだあと、私は泳げないかもしれない。さっき会ったばかりのマサルを、信用して良いのだろうか……? 
「逃げ出そうなんて、考えるんじゃねえ」

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