小説

『脇差し半兵衛』中杉誠志(『たがや』)

 人を斬るのに、刃渡りは二尺もいらない。脇差しで十分だ。もっといえば、鉈でいい。それを知らないバカは、御大層に大小二本の刀を腰に差して、しかも得意顔だから笑わせる。
 そもそも天下泰平のこの時代に、重い刀を差して町を歩くほどバカげたことはない。それでいて、鞘が当たっただの無礼討ちだのと刃傷沙汰を起こすんだから、お侍なんてのはお寒い人種だ。侍同士だけでそれをやるなら、まだいい。刀を差してない町人まで巻き込むこともあるから救いようがない。
 いままさに、おれの目の前でそれが起こってる。
「お許しください!」
「いいや、勘弁まかりならん!」
 花火大会の夜。多くの人でごった返す両国橋の上で土下座してるのは、たが屋。田舎出のおれは『たが』ってのを知らなかったが、桶や樽の外側にはめる竹の枠を、江戸では『たが』っていうらしい。
 そのたが屋に謝らせてるのは、どこぞの殿様とその家来たちだ。話を聞いていると、たが屋の担いでいたたがの材料の竹が、ふとした拍子に、殿様の笠をはね飛ばしたんだという。それで、殿様は、たが屋を無礼討ちにするとかなんとかいっている。バカバカしい。
 地元に帰れば一国一城の主。でも江戸じゃあ将軍様の顔色うかがうだけの下僕同然。おおかた、将軍様から意に沿わないお下知を申し渡されて、虫の居所がよくなかったんだろう。それで町人相手に因縁つけて憂さ晴らししようなんて、やり口はやくざとかわらない。まあ、それは、やくざに用心棒として雇われてるおれにいえたこっちゃないんだが。
 たが屋と殿様の周りにいるのは、三、四人の家来以外、たいてい町人だ。普段から肩で風を切って歩く二本差しに不満を持ってる連中だから、
「たが屋は悪くねえ!」だの、
「たが屋を許せー!」だの、
「おさむれえの、バカー!」だのと、たが屋に同情的な声が飛んでいる。
 でも所詮、野次馬なんてなんの力もないから、家来の一匹が飢えた野良猫みたいな目でキッとにらんだだけで顔を引っ込めちまう。ああ、なんという根性なし。それでも義理人情を第一とする江戸っ子かよ、てめえら。べらぼーめー。
 そうしているうちにも、花火は次々打ち上げられる。こっちの騒ぎに縁のない遠くのほうでは、
「たーまやー!」
 と花火職人を讃える声がする。たま屋だけじゃなく、かぎ屋って職人もいるはずなんだが、聞こえてくるのは、みんなたま屋びいきの声だ。

   橋の上 たま屋たま屋の 声ばかり なぜにかぎ屋と いわぬ情なし

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