「そして、彼はその少女と一緒になりたいが為に、押し絵の中へと入ってしまったのです」
「押し絵の中に、入る?」
「私の祖父が、双眼鏡を持っているでしょう?その双眼鏡を使って、押し絵の中へと入ってしまったのです」
この人は、一体何を言っているんだろうと思いながら、僕は「どうやって?」と、訊いていた。
「逆さまに覗くのです。大きい方のレンズに目を当てて、覗き込むんです」
僕は写真の中の、女性の祖父が持つ双眼鏡を見た。かなり年代物の双眼鏡のようだった。年月を重ねた物特有の独特の雰囲気が、女性の言うような妖術めいた力を秘めているとしても不思議ではない空気を醸し出していた。
「それにしても・・・・・・」
「少女は誂えられた物で、祖父の兄は生命を持った人間です」
そんな物があるとは思えないという、僕の疑問は遮られ、女性は話を進めていった。
「押し絵の中で、祖父の兄だけが年老いていき、少女はいつまでも若く美しいままでした」
列車がレールの継ぎ目を通る度に聞こえる音が、車内に規則正しく響いていた。
「祖父は、そんな自分の兄を不憫に思い、押し絵の中の時間を止める方法を見つける為に、世界中をその押し絵と旅して回りました。祖父は優しい人でしたから」
女性の薄い唇の端が少し上がり、目尻が優しく下がった。
「あるいは、あるいは自らの手によって、自分の兄を押し絵に閉じ込めてしまったという負い目もあったのかも知れません」
「あなたのお祖父さんが、この人を押し絵に?」
「その少女と一緒になりたいという、達ての願いでしたから」
女性の口調は、なぜか自らの罪を告白するかのようだった。
「ご自分のお兄さんを、この双眼鏡を逆さにして覗いて?」
「そう、逆さにして覗いて」
なんとも言えない冷たい沈黙が、車内の温度を五、六度下げたように感じた。車内はおろか、列車の外も、地球上のあらゆる生物が跡形も無く絶滅したんじゃないかと思うくらい、孤独な気分になった。
「不思議に思われるでしょう?」
「はい」
「私も半信半疑でした。このカメラを手にするまでは」
女性の太腿の上のカメラのレンズが、僕を見つめているような気がして、背中に寒気が広がった。
「このカメラは、写した物の“時間”を止める事が出来るのです」