小説

『不死鳥』桂夕貴(『文鳥』)

 私はそっと不死鳥を籠から出した。片手に収まる小ささのそれを、私は両手で包み込むようにして持った。それが、私が初めて不死鳥に触れたときだった。不死鳥は、冷たかった。微かな温度もない。あの女性とは違う、ただ「冷たい」身体をしていた。
 動かぬ不死鳥の体温を補うように、私の心の奥底が、じわりじわりと熱を帯びていった。しかし、不死鳥は冷えて固まったままだった。その閉ざされた瞼が、急に愛おしく思えてきた。私の体内の熱は、いつの間にか眼球を刺激していた。そうして涙は流れた。涙は頬を伝い、不死鳥の身体に降り落ちた。その涙には、確かに温度があった。それでも、不死鳥は動かない。動くはずだ。私は祈るように言った。でなければこれは、単なるカラスだ。
 しかし、不死鳥は二度と動かなかった。不死鳥は死んだ。傍らの美也子は、私の両手から不死鳥を取ると、平然とした表情で玄関まで行き、靴を履き替えた。どこへ行くんだと擦れた声をかけたら、埋めてくる、と美也子は言った。私もついて行くと言ったが、彼女はそれを制した。そして、誰かと似た不敵な笑みを浮かべて言った。
「あなたは大物になるわ」
 それは何故かと、問う。
「だって、不死鳥を死なせたんだもの」
 私は、ただ呆然と立ち尽くすしかなかった。彼女は不死鳥を手にしたまま出て行った。そうだ、私は執筆に熱中するあまり、不死鳥に十分な餌をやることができなかった。責任は自分にある。すると心臓が握り潰される思いがした。
一人きりの部屋で、私は椎名に電話を掛けた。不死鳥を死なせてしまったことを詫びると、ああ、そうですか、まあ不死鳥も生き物ですからね、と彼は暢気な言葉を返した。
 通話を終え、私は床に仰向けに寝そべった。小説を書く気は全く起こらなかった。
「不死鳥とは死なないから不死鳥なのではないか。一体全体どういうことだね」
 一人呟く私は、不死鳥が、不死鳥以外の何ものでもないことを確信していた。根拠はなかった。ただ、カラスに酷似した小さな不死鳥がいる世界、それも悪くないと思った。
 ふと私は思い立ち、携帯の電源をつけて起き上がった。電話帳の中から、あの女性の名前を探し、しばしその名を見つめた。そして、削除した。
 途端に、不可思議な衝動が私を突き動かした。テーブルの隅に追いやっていたパソコンを再び引き寄せ、本能の赴くままに私は文章を書き出した。書かなければいけない。それが、私にできる唯一の償いであるのだ、と。失ったものへの感情が、全て執筆に注がれた。新人賞の締め切りまでは、まだ数日ばかり余裕があった。私は一心不乱に、言葉と言葉を紡ぎ続けた。
 本当のところ不死鳥は、単なるカラスであったかも知れないのに、その鳴き声を、想像しながら。

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