小説

『タイムマシン エピローグ2』川路真広(『タイムマシン』)

「アミノ酸が大量にあるところで、何かの力が働いて、偶然に生命が発生したのではないだろうか」
「いえ、生物、その最小単位としての細胞というやつを研究すればするほど、それが単なる偶然によって発生したのだとは思えなくなって来るのです。細胞はあまりにも精妙に出来ている。複雑に組み合わされた作用が相互に制御しあいながら働いている。どうしてそのような活動する構造体が出来たのか。たとえば、溶けた金属を掻きまわしたり冷やしたりまた溶かしたりをいくらくりかえしても、そこから時計が出来上がってくることはありえません。しかも細胞の複雑さというものは、時計の比ではないのですよ。だからその起源についてはまったくの謎というほかはない」
 私はヨハンソンが何を言おうとしているのかつかもうとして、少し頭がくらくらした。グリーンランドの古い地層から出て来たという水晶の棒。彼はそれをタイムマシンの話と結びつけてみたのだろう。彼が私のあの手記を本気で信じていないことは明らかだったが、仮に真実だと仮定するなら、というつもりだったかもしれない。するとあの日、「時間旅行者」は過去に向かって旅立ち、三〇億年もの時間を抜けて、考えられないほど古い時代の地球に到着してしまったのだということになる。彼の意思がそうさせたのか、それともタイムマシンに何かトラブルが生じたのかはわからないが。しかしそのことと、生物学者が持ち出した生命の起源についての話は、どう結びつくというのだろう。
「ヨハンソン君、どうも話が私の視野を越えて広がってしまったようだ。君の思いつきでは、水晶の棒が「時間旅行者」の持ち物で、彼は生命の起源を確かめるために、はるかな過去へと遡って行ったと、そういうことなのだろうか」
若い生物学者はうつむき、ふたたびゆっくりと顔を上げて私を見た。「いえ、それ以上のことです…まさか…科学者としてこんな空想を弄するべきではないのでしょうが、いや、ぼくは少し飲み過ぎたかもしれない。こういう突飛な思いつき、愉快なものですが、仮説というにはまだ……。すみません、急に酔いがまわって来ました。少し頭を冷やして考えたほうがいいようです。このお話はまたあらためてさせていただきましょう」そう言って生物学者はその場を切り上げた。私はふらふらした足取りで部屋を出てゆく彼の後姿を、何か煮え切らない思いで見送った。
 一人になり、私は、いったい生物学者の頭の中に何が生じていたのだろうと考えをめぐらせた。そしてひとつの不気味な(この形容詞がなぜだか適切だと私は感じる)アイデアに思い至ったのである。
 もしかすると、生命の起源とは、まさに「時間旅行者」その人だったのではあるまいか。あの日私の目の前で消滅した「時間旅行者」は、やはり過去へと向かったのだ。そして何かの理由で、彼はこの惑星の、いまだ生命の誕生していない時代へと到着し、海に投げ出された。あるいは、今はグリーンランドとなっている海底に出現してしまったのかもしれない。彼は、その三〇億年ほど過去の地球で死んだ。そうして、彼自身の体細胞が、もしくは、彼の体内にいた無数の微生物のいずれかが、生命の起源になった。地球の全生命は、未来の世界からやって来た生命によって「始まった」……のだとしたら。

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