小説

『がらがらぽんの日』伊藤なむあひ(『オズの魔法使い』『トカトントン』)

 すごい音だね、と僕が言うと、叔父はどこか得意げに、そうだろう、なにせ山の上だからね、と返してきた。実際に外からはほんとうにすごい音が聞こえていて、ががん、ばだん、ぐおおおお、ばばばばばばばば昔さ、叔父は準備をしながら、一度だけ飛んでいったことがあるんだよこの家、と続けた。え? と僕が聞き返すが返事はない。特に補足もなくこの話題は終わってしまったようだ。
 飛んでいってしまったとはどういうことだろうか。風で飛ばされたということなんだろうか。そのときもこんな風の強い日だったのだろうか。そんなことをぼんやりと考えながら、手伝えることもなく手持ち無沙汰の僕は何をしているのか分からない叔父の『準備』とやらの様子をじっと見ていた。
 そろそろいいかな、と叔父が言いこちらを見た。その顔は、いつもの何を考えているか分からない顔だった。そしてやっぱりいつもの気の抜けた声で僕に言った。じゃあ、これから世界を滅ぼします、と。
 はじめて叔父に会った日もこんなふうに風の強い日だったことを覚えている。父と母が急用で家を離れることになり、どうしてだったか僕は一晩だけ叔父の家に預けられることになった。それまで叔父なるものがいるなんてことも知らなかった僕は、父の車で隣町の山に連れていかれた。
 山道をある程度上ったところで道路わきに車を停め、そこからは知っている人にしか分からないような細い道をさらに登っていった。まだ小学生だった僕は、このまま誰も知らない山のどこかにこのまま置き去りにされてしまうんじゃないかと思い、父がどこかに行ってしまわないようきつく手を握ったのを覚えている。姥捨て山、という言葉が頭の中をぐるぐるしていた。
 やがて突然草木がなくなり、目の前に小さな小屋が現れた。おとぎ話みたいだ、と思い僕が立ち止まっていると父は僕の手を一度握り返したあとその手を離し小屋のドアをノックした。中からは気の抜けた返事が聞こえ、ゆっくりとドアが開いた。
 僕はまだ随分小さかったけど、出てきた人が『普通』じゃないことはすぐに理解した。僕がそれまで生活したなかにこんな人はいなかったからだ。その感覚をどう説明したらいいだろう。お父さん、お母さん、先生、クラスメイト、近所のおじさんおばさん。僕が生きてきたうちで会った人たち。優しい人もいたし意地悪な人もいた。親切な人もいたし変な人もいた。でも叔父さんはその誰とも違った。分からない人だった。
 分からない人に、僕はどう接していいかが分からなかった。こっちがどうすれば相手がどうするだろう、という予測ができなかった。怖い、というのに一番近かった。
 どうしたのさぼーっとして、という叔父の言葉で我に返った。叔父は一人掛けのソファに座った僕の正面にかがみこんで僕の顔を見ていた。嫌なことでも思い出した? 悪意のない叔父の質問に胸が痛んだ。続けていいんだよね? うん。そう、いつだって叔父に悪意なんてない。けれど、叔父はきっと悪魔の類なのだ。目を瞑って。叔父の言葉に従い目を閉じる。

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