小説

『GLOW』日光一(『マッチ売りの少女』)

 少女がそこまでの思考に至った時、男は酷く可笑しそうに声を出さずに笑いながら、手を振って深緑色の外套を翻した。最後にぽつりと一滴だけ言葉を残し、男は寒空に溶けた言葉が少女に届いたのを確認して少女の元を去って行った。
 男の後姿を見送って、あれは自分とは別の至り方で道を踏破したものだと彼女は思った。
 全知などという夢物語を本気で信じ、壊れ、至った者のなれの果て。全てを知るがゆえに、今自分の前に現れ、そして興味を失って去って行ったのだ。
 人の願いを叶える灯火を与えるために、街を巡る彼女としては、あの深緑色の外套の男との逢瀬は、随分と懐かしい感触だった。まるで、過去に戻ったようだと甘く辛辣な痛みが彼女を苛んだ。
 震える手を閉じた時、男の去り際の最後の一言が少女の耳に蘇った。
「君の願いは何?」
 それは少女の存在を侵す猛毒の棘だった。
 少女は人であった。だが、それは概念としてこの世の法に編まれた形骸に過ぎぬ。
 目から唐突に涙が溢れ、頬を伝った。透明な雫が止めどもなく流れ、嗚咽を堪えようとして両手で口を押え、その場で少女は膝を折った。空気に触れた涙が目と頬を冷やし、張り付いた。拭おうと氷のような指でそっと顔に触れた。確かな感触がそこにあって、その感触に、更に少女は涙を零し続けた。
 男の言葉で隠していた自分の心中を意識してしまった。決して見てはならなかった自己の欲望に少女は何の抵抗の術もなく襲われた。
 その感触に導かれるまま、或いは惹かれるままに、少女は口元を抑えていた両手をゆっくりとした動作で、胸の前に小さく広げた。
 光が少女から生まれ、また集まり、七色に光った。
 この上もなく安心する温かみが冷えた身体を少しだけ温めていく。
 大切な人達に会いたい一心で、少女は禁忌を犯そうとしていた。それは彼女が生みの親に決して行ってはならぬと言われた行為だった。
 他人を幸福にする力で自分の益を得る背反。
 幸福の灯火は自分以外を幸せにするための法であり、決して自分を照らしてはならないと。
 ああ、けれど!
 けれど、少女はその決まりを封じていた自らの意思で犯す。
 思ってしまったのだ。大切な者たちにどうしても会いたいと。
 その純粋で真っ直ぐな願いを誰が否定し、笑えよう。誰が罪だと断じ得よう。
 幸福なる世界のための灯火は今少女のためにただ在った。

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