少女は暴虐な父に街に出て、己が為すべきことを為せと仰せつかっていた。幼少時には優しかった父はもうどこにもいないのだと少女は諦めて幾分も前に街に出た。
祖母と母はとうの昔に天に召され、かつて親しかった友人たちもそれぞれに自分の道を歩み始め、少女の周りには心を許せるものは最早どこにもいなかった。かつてあった楽しかった記憶や、甘い過去が少女の今を一層辛く、救いの無いものにさせていた。
その記憶が無ければ、何も知らなかったのに、それを手放すことも少女は出来なかった。出来ないままに、今を生き、己の使命を遂行せねばならなかった。
もの思いに少し耽り、白い息が凍てつく風に消されていくのを見て、少女は会いたい人が誰もいない街をただ歩いた。
誰もが少女に無関心の中で、やがて少女は一件の家の前で立ち止まった。
温かな食卓で、家の中は満たされているのだと少女は思った。けれど、その家の子供からは不満を訴える声が聴こえる。
「もっと大きなケーキがいい。もっとたくさんの御馳走が食べたいよ」
その願いは最もだと少女は思った。テーブルに乗り切らないようなケーキを、味わったことも無いような多彩な料理を、感じたことのないような美味を望むのは人として酷く正しいことで、多くの人が望むことだ。
少女とて、それは例外ではない。
そう思って少女は胸の前に手を伸ばして、ゆっくりと花が開くように掌を宙に広げた。
その願いを叶えたいと少女は願った。
異様で神秘的な光景だった。
少女の掌から生まれた小指の爪ほどの光が闇に包まれた暗い世界を照らすと、目の前に過剰な装飾の施されたケーキが何もなかった空間から突如として現れる。砂糖を練り込んだ焼き菓子、噛めば小気味の良い音を立てそうな乾菓子、宝石のような飴細工、その他大小色とりどりの甘味の披露宴が少女の眼前で行われていく。
続けて、胡椒と香草の匂いのする焼けた七面鳥を主に、人の歴史が生み出した料理を少女は掌から生み出していく。万象を調理した中華、海鮮を主とした炒め物、飲み切れないほどの良く味の出た汁物、畜産の焼き物や飲み物、大地の恵みをふんだんに使ったありとあらゆる食の幸福の結晶。
だが、足りない。この願いでは。まして、この願いは真に願われたものであろうか。
どこからか浮かんだ言葉を少女は打ち消す様に首を振った。
手の中の小さな光が消えていく。ゆっくりとその手を閉じ、胸元に抱いた。
悟ってしまう。この願いを叶えたとしてそれは一過性のものに過ぎぬのだと。そんなものはただの気休めにしか過ぎないのだと。