夜中に自分の部屋の入口の襖を開けると、暗い部屋から何かが消えた気配がした。
窓から月あかりが入って、部屋の半分はほんのりと明るく見えた。その明かりを頼りに布団に入る。何気なく手を妻の布団に差し入れると、火照った肌が指に触れた。
「あなた……よね」妻の声がした。
「ああ。遅くなったね。少し散歩をしていたから」
「えっ、そんな、だって今まで……」
突然、妻の声が途切れた。「おだまり」とくぐもった声がする。
「どうしたんだい？」私が明かりを点けるために布団の上に立ち上がろうとすると、
「なんでもない……満足した？」と妻の声がした。答えに窮していると、
「お風呂。楽しかった？」と問い直してきた。
「ああ。満足したよ」
「あたしは、もう少し……ねっ」
熱い手が伸びてきて、私の手を探りあてると強く引いた。布団の中の妻は裸だった。その夜の妻はいつになく激しく、私たちは朝まで何度も交わった。
「ねえ、ほんとうよ。ここは怖い」
目覚めると私の布団の中に妻の裸体があった。妻の身体は昨日と同じように柔らかかったが さすがに疲れていて抱く気にはならなかった。身体の芯が枯れ果ててしまった感じだ。
「わかったよ。ただ宿を出る前にもう一度風呂に入って来よう」
「……あなた、本当よ。そうじゃないとあたし……」
「君も一緒にひとっ風呂浴びないか。そのままじゃ気持ち悪いだろう」
「いいえ。やめておく。あのお風呂も気持ちが悪いのよ」
「じゃあ……」と言って風呂場に行った。不思議なことに宿の中は静まりかえっていて、どこにも女将の姿がなかった。もちろん湯船につかっていても、湯気の中から女将が現れたりはしなかった。
風呂から上がり部屋に戻ると、妻は布団の上で浴衣を半分はだけて座っていた。ただ、先ほどの不安な様子は消えてにこにこと笑っている。
「お前、大丈夫かい？」