人が見ていない所ではもっと巧妙だ。女子トイレの掃除はそこにいる5,6人の女子しか様子がわからない。幸奈は一人で掃除をさせられていた。三角コーナーのゴミ捨てもいつもだ。その隙に幸恵たちは散々おしゃべりをしてゆっくり教室に戻って来る。
子どもの無視や嘲笑、たったそれくらいのことと大人は思うかもしれない。でもあのころの私たちはまだ、とるに足らない悪意にまんまと傷ついて逃げようがなかった。あの小さな狭い場所で自分を守りながらサバイバルするしかなかったのだ。幸奈は何も感じていない顔でがんばっていた。どんなに無視されても、笑われていても。
私は「もうやめようよ」と言えなかった。言おうとするだけで喉がひりひりして、今何か言っても声にならないのではないかというくらいの痛みが走って言葉にならなかった。幸奈が遠回しに体型をからかわれたり、貧しくてきれいな物を持っていないことが原因で、冷淡な態度をとられるたびに、逃げ出したいと思うほどなのに何もできなかった。それどころか、ある日、目をそらしてしまったのだ。
女子だけの家庭科の待ち時間にそれは起こった。
「この教室には幸福の幸の字が付く人が二人いるよね。でも読み方が違うから間違えなくていいけど」
何も考えていない人代表のさゆりが突然大発見のように言った。ここにいる人みんな知ってるんだから、わざわざ今そんなデリケートなこと言わないでよ、と苛々した。
「そうなんだよね。知らない人が見たら間違うよね。どっちもゆきちゃんとか、さっちゃんて呼ばれそうだし」
無神経二号の伸子が続けた。この人馬鹿だ。誰か他の話題を持ち出してくれればいいのにと、私は何の舵取りもできずにいた。
「やめてよ!」
強い刃物で会話が断ち切られたのが見えた。いつもアイドルを装っている幸恵の本当の顔がのぞき、瞬時にそれは笑窪の向こうに隠れた。
「本当にそうだよね。間違えて一緒に呼ばれるなんて嫌だな。名前変えようかな。ねえ、幸奈も嫌だよね。いっそのこと幸奈が変えたらいいじゃん。ひらがなとか絶対読み間違えられない漢字にするとか。改名したほうがいいことあるかもよ」
教室がしんと冷えた。笑顔で一気に吐き出した言葉だが、棘だらけで聞くに堪えない意地の悪さが二重三重に悪意で塗り固められていた。人がいなければこう言っただろう。
「一緒にするな。消えて」
幸奈が私を見たが、私は目をそらせることしかできなかった。
(なんてひどいこと言うの。あやまってよ!)