小説

『大輪の花』菊野琴子(『酒呑童子』)

『おまえは朋輩をよく知ると見える』
「僕はあちこちをぐるぐるぐるぐる廻っては、寺院や社に居る、木や石や金に宿ったあなたたちに挨拶をしているんだよ。ずっと、ずっとね。僕に話しかけてくれるのは、どうやら地獄を知っている方らしい、ということはいやでも分かってくる」
『鬼と共に喰らったのは姫の血肉かい』
「そうだよ。奴らを油断させるために、僕らは姫の血肉を喰らった。奴らを退治するために必要だったとはいえ、いっとき、僕は鬼と同じものだった。お地蔵さま。僕がずっとここに居るのは、その罪かい」
『おまえは既に知っているのだろう』
「さあ。どうだろう。それとも、あそこが地獄だったのかな。ねえ、お地蔵さま。美しい人が、手も足もなく、臥していた。ゆうべ手足を切られ、死なぬように薬を与えられて終日血を絞られ、僕らが着く寸前に捨て置かれたと周りの女が言っていた。たった一夜を無事でいられなかったことの哀れを、女たちは嘆いていた。僕が助けようとすると、秋の終わりの鈴虫のような声が聞こえた。こんな恥ずかしい姿で帰っては愛する者を悲しませると、その人は言って、死の助けを請うたよ。お地蔵さま。恥ずかしいって、どういうことだか、ずっと分からないんだ。その人は美しかったよ。僕らがすすったのはその人の血だった。僕らのために、その人は手足を切られたんだ。どうして哀れなどと涙を流すことができる」
『地獄では鬼も人の血肉もあちらこちらにある。あるものは喰われ、あるものは喰らう。おまえが喰らったのは姫の血肉かい』
「…ちがうよ」
 盃に、どこからか、はらりはらりと落ちてきた。見たこともない、赤い花びら。思わず見回したが、どこにも花など咲いていない。盃は芳しく、僕はそれを口に含んだ。供されたとき人の血肉だったそれは、花びらに触れると透明に輝き、口に含むと天上の香りがした。鈴虫の声。僕は応えて刀を立てた。その人は手を合わせて微笑んだ。僕は嬉しかった。喜ばれると嬉しかった。なすべきことをするのが楽しかった。僕はぐるぐるぐるぐる廻っている。どこに居るのかわからない。地獄でも天上でもないと確かめるためだけに、貴い方々の形代に挨拶をする。
「お地蔵さま」
 戸が鳴る。風が強くなってきた。
「お地蔵さま」
 指先がぴりぴりと痺れてきた。
 戸に手のひらをあてて、ぐっと押す。足を踏み出すと、ぎゅうと雪が鳴いた。片栗粉のようなこの音が、僕はすこし苦手だ。
 頭上では大きな雲が見て分かるほどの速さで流れている。ここは寒くて風が強い。その代わり人々は暖かく暮らす術を多く身につけている。僕もはやくどこか暖かなところへ行こう。夜は味噌拉麺でも食べるとしようか。

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