小説

『邪悪の森』和織(『狂人は笑う』『猟奇歌』夢野久作)

「人それぞれに運命があるよ」私の考えを見透かしたようにYは言う。「誰と出会わなければ、こうしなければ、そういうのはすべて今の為にある言葉だ。過去は、これからの為に上手く使われるべきものだ」
「君の言うことは正しいさ。でも君は、横田小百合がその運命に勝てないと知っていて引き込んだ」
「ああ、傍から見たら犯罪者だって自覚はあるよ。だけど罪悪感てものはない。もちろんそれがなにかは知ってる。感じたこともある。でも小百合のことは僕にとって一つの大仕事で賭けだったんだ。このつまらない生き物を、愛せるようになるだろうかって。僕はちゃんと、それを成し遂げた。出会った頃の明るさが見る影もなく消えていってさ、あの子が堕ちたときは本当に綺麗だったな。あれも、大切な一枚だよ」
「一枚?」
「そうここに」と言ってYは自分の頭を指さした。「そういう瞬間が撮ってあるんだよ、何枚かね」
 私はYの長い指と瞳を交互に見た。じわじわと、何かか浮かんでくるような感覚がした。そんな私を見て、Yは嬉しそうに口元を歪める。
「俳優を仕事にしようと思ったのも、そういうものに出会える機会が多いかなと思ったからだしね。美女が、陥れる為に誰かに近づいていく姿とか、くだらないことからもの凄く人を憎んだり羨んだりするようになる、お粗末な思考回路とか、それらが創り出す時間は、したたかであざとくて愉快で残酷で優雅でイマジネーションに溢れていて、とてもフォトジェニックだ。でも、形として納められない瞬間。一般的でないかもしれないけどね、それが僕にとっての美だよ」
 そう、この男の異常さは、その程度のものなのだ。少し人と違う、いわば個性のようなもの。厄介で危険な個性。
「先生、今見えたんでしょう?僕の大切な瞬間」
「・・・・・君は私の患者だからね」
「先生、僕らの思考回路は繋がってる。ねぇ、毎回毎回僕をなんとか説得しようなんてさ、諦めの悪いのは先生の方だと思わない?先生にわかることは、僕にもわかる。先生が患者を理解すればする程、僕は悪戯心をくすぐられる。因果だよ」
 私は思わず、何かを振り払うように頭を振った。熱い。なんだろう?蝋燭の匂いがする。熱い。溶けた蝋のように、言葉が落ちてくる。熱い。熱い。
「運命に逆らわずに生きていくのが、何よりだと思うけどね」
 Yは上目遣いに私を見る。その瞳が、燃えている。美しい顔が溶けていく。熱い。熱い。熱い熱い熱い熱い熱い。
「ねぇ先生、日の丸って、世界で一番素敵な国旗だよね」
 鮮血が、雪に落ちる。白い猫の首が飛ぶ。女の肌を剃刀がなぞる。バラの棘、指先にテントウムシのような血の玉。鮮血が噴き出す瞬間のような、人間の表情。残虐の美。後に残る滑稽。流れ込んでくる。Yの考えていることが、止めどなく、見たことのないものが、見たことのない表情が、鮮明に。これは、なんだろう?何の為に?こんなものを見なければならない?人は、いつでも試されているという。私も?この狂ったまま正常を保つ美しい男によって、でもその男の言うことが、当たり前にも思えてくる。彼が笑うことが、自分にとっても可笑しいような気がしてくる。ひっくり返る。患者やスタッフを傷つけられて悔しかった気持ちが・・・なんだか、可笑しい・・・・・

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