小説

『白梅、紅梅』冬夜(『しらゆきべにばら』)

 風を浴び、ひとしきり泣いて、私は実家に戻って少ない荷物をまとめた。縁側にはもう小雪もノアもいなくなっていて、私は梅の木をじっと睨んだ。昨夜の強風でかなり花は散ってしまったが、それでもまだ少し枝に残っている。私は、血の色みたいな紅梅の枝を一本、手折った。それから少し迷って、白梅の枝も一本手折った。あの幼い日の約束は、ボキリ、と鈍い音を立てて、千切れた。不意に後ろから鳴き声がして、振り返るとノアだった。ノアの鳴き声は悲しそうに響いていた。
「ノア、どうしたの?」
 と、障子の向こうから小雪の声もした。小雪に見つかってしまう前にと、慌てて駅へ走り出す。後ろから私の名前を呼ぶ声が聞こえた気がしたけれど、振り向かずに走り続けた。握りしめた二本の梅の枝が手のひらに食い込んで、血が滲んでいた。
 バイバイ、お姉ちゃん。

 それからまた順番に季節が巡り、再び梅の香りのする季節がやってきた。
「入るよ」
 控室の窓際の椅子に腰掛ける小雪は、純白のドレスとヴェールに包まれ、ふんわりと後光を纏っているようにさえ見えた。
「綺麗だね」
「あんたも赤いドレス、似合ってるわよ」
 顔を合わせれば泣いてしまうかと思っていたけれど、できるだけかつてと変わらず、とりとめのない話をして笑った。私が東京へ戻ってからの近況とか、早くも始まった、旦那さんやお姑さんへの愚痴とか。お父さん、あっちでもう泣いてたよ、とか、まったく気が早いんだから、とか。
「ちょっと、後ろ向いててくれる?」
「なぁに?」
 私はバッグの中から用意していたものを取り出して、きれいにまとめられた小雪の髪に、それらをあしらっていった。鏡越しに見つめる私の小雪は、やっぱり誰にもあげたくないくらいに美しい。
「…ねぇ、一緒に結婚しない?」
「え」
 鏡の中の小雪が泣き出しそうな顔でそんなことをいうものだから、一瞬足元がぐらついた。
「主人の弟さんがね、まだ独身なんですって。そしたら、私達、また一緒に…」
「…ハハ、馬鹿言わないで」
 いつか梅の木の下で見たのと同じように、小雪が真剣な眼差しをしていたことに気づいていたけれど、私は情けない笑顔で笑い飛ばすしかなかった。もう、大人にならなくちゃいけないから。

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