小説

『一物』山羊明良(芥川龍之介『鼻』)

 ある日夢をみた。目が覚めると一物は見事に昔の姿を取り戻した。いや、それは昔以上に大きく、向こう窓の景色が見えないほどの巨大さだった。マイクは叫んだ。駆け付けた姉たちも叫んだ。光を背に己の一物は脈々と悠悠たる呼吸をしているようだった。
 「どうしたっていうのよ?」次女が言う。「まるでビルディングだわ」
 マイクはガタガタ震えていた。
 「切るしかないわね」長女が呟いた。「これじゃどこへも行けないわ。残念だけど切って短くする方法以外ないわ」
 次女が走って包丁を持ってきた。長女はクローゼットからロープを取り出し、マイクの体をベッドにしばりつけた。
 「薙ぎ払ってあげるから我慢しなさい。動くんじゃない」
 マイクは戦戦恐恐とした。包丁が振りかざされる。一物は素知らぬ顔でドンと構えている。一瞬、姉たちの表情に笑みが浮かんだのをマイクは見逃さなかった。包丁が勢いよく動くとマイクはギャッと気を失った。
 目が覚めた。外は晴れ、白い雲が南へ流れていた。一物に変化はなく、姉たちはいなかった。洗面台で顔を洗う。鏡の映る己の顔色はひどく悪い。一晩で五年ほど老けたような気がする。マイクは深呼吸した。夢は夢でも質が悪い。やはり深層心理においては完全に一物の呪縛から逃げられないのかと思った。きっとそれは永遠に近いものだろう。そう思うと今まで明るかったものが急にどんよりと、楽しかったものが下らなく思えてきた。
 その日を境にマイクはふさぎ込むようになった。己の一物に怯えるようになった。仕事に身が入らず、ミスを連発し、終には単身事故を起こしてしまった。彼女といても上の空で、セックスは怖くてできなくなってしまった。心配で聞いてみてもマイクは何も答えない。二人の姉が聞いても無口を貫いた。気分転換に山に連れ出してみても何の反応もない。陽が映し出す己の影ばかり見つめていた。己の一物について悩んでいるのは明白である。しかし、一物が再び大きくなったわけではない。一物はごくごく普通である。姉たちは首をひねった。わからない。わからないまま、マイクは仕事を辞め、彼女とも別れてしまった。
 帰りたい、とマイクが言ったとき姉たちは特に反対しなかった。帰ることが必ずしも良い方に向かうとは思っていない。しかし、ここに居てもうまくはいかないだろうという漠然とした気持ちもあった。結局はマイクの好きなようにさせる事が一番よいという考えに至った。だから極力何も言わなかった。また来たければ来ればいい、そういう優しさだけを示すだけだった。

 帰ってきてもマイクは同じように部屋に閉じこもり外へは出なかった。最初は夢に怯えた。いつ、突然大きく戻るかもしれない一物の言い知れぬ影に戦いた。しかし、途中から大きく戻りたいという別の感情に気づいた。それは自分でも驚くべきことで、二つの相反する感情が彼の中で複雑に交じり合った。

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