小説

『うさがなえ奇譚』佐倉アキ(『徒然草』「これも仁和寺の法師」)

 今まで会話を見守っていた宮瀬が答える。そのまま銚子を上げ、空になっていただんなさんのお猪口へと酒を注ぐ。
 胸のつかえをごまかすかのように、私は残っていた酒を一気にあおった。

 酔いが回ったのか、頭がぼんやりとしてくる。私は夜風に当たるために席をはずした。そのまま二階にあがり、ベランダに出ようとしたところで、不自然にあいた納戸の扉が目に入った。納戸には、季節はずれ服や趣味で集めていた本など、今は使っていないものが押し込められ、家主である私でさえ、ここ一ヶ月ほどは入っていなかった。
 不審に思い、中を覗く。当然、誰もいない。小さく切り取られた窓から、月の光が差し込んでいる。
「……あ」
 私は小さく声を上げた。
 ガラス戸のついた棚に、いくつもの写真が並んでいる。ほとんど兄家族のものだった。大きなアルバムから五枚ほど抜き取り、写真立てに入れて飾っていた。種類は少ないが、生まれて初めて撮った写真や、お宮参り、幼稚園の入園式など、できるだけ春斗の成長が分かるように選んだ。その奥、隠すかのように一枚の写真がある。
 私はガラス戸をあけ、その写真に手を伸ばした。それは例の公立高校の学ランで身を包む兄と、気まずそうにカメラから視線をはずした中学生のころの私の写真だった。
 結局、春斗も兄と同じ道に進むことになったか。
 私はため息をつくと、写真を戻す。
 すると、後ろで何かが落ちる音がした。
 振り返ると、そこには大きなウサギの頭があった。遊園地などでよく見る着ぐるみの頭である。短い真っ白な毛で包まれ、くりっとした青の瞳が輝いている。ひげのない頬にはハート型のペイントがされ、愛らしい小さな口に彩りを添えていた。
 それは昔、父が会社から持って帰ってきたイベント用の着ぐるみだった。特注品だったらしいが、担当の発注ミスにより、かなり小さいサイズで作られ、結局、社員の誰も着ることができなかったという。
 幼いころ、兄と一緒にかぶって遊んでいた記憶がある。おそらく、三十年も前のことだろう。それ以降、このウサギ頭は日の目を見ることなく、納戸に押し込められていた。
「まだあったのか」
 私はウサギ頭を手に取る。心地のよい重さがあった。
 急に懐かしい思いにかられ、あのころと同じようにウサギ頭をかぶってみる。サイズが小さいとはいえ、頭部はそこまで変わらないようで、意外とすんなりと顔を入れることができた。

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