小説

『ドッペルゲンガー』植木天洋(芥川龍之介『人を殺したかしら?』)

 結局、私はとりつかれたのだ。今では信じられないことに、単なる噂話程度にすぎない迷信にすっかり振り回されて、追いつめられて、私はハサミで彼女を襲うなどという凶行に及んだ。
 あの後どうなったはついにわからなかったけれど、あの血の出方からすると彼女の指の傷は深いだろう。でも呼び出されるとか大人に叱られるとかいうこともなく、彼女も彼女の家も何も言ってこなくて、まるで何もなかったようだった。どうして彼女がけがをした理由を大人にいわなかったのか、わからない。当然、彼女に直接きくこともできないし、何より知ることが怖かった。
 ただ思い出すのは、私とそっくりな彼女の顔が、血をみたとたん真っ青になったことだ。立っている姿がぐらぐらとしていて、今にも倒れそうだった。血を見て倒れる、という人物が映画に出てくるけれど、まさにそういう感じだった。
 彼女の指を切ったハサミは、今でもペン立てに突き立っている。見るのもいやだったけど、ハサミはそこに存在する。私が彼女の指を切った事実は、彼女や私が誰にも言わなくても、確実に過去の中に存在する。
 私はいずれ死ぬだろう。それは、ドッペルゲンガーのせいではなくて、ただ、死ぬのだ。人として。
 でも、ドッペルゲンガーに出会ったあの時から、私は狂ったのかもしれない。私は目を閉じた。自分の狂気を閉じ込める封が見える。でも封は薄い紙テープのように脆くて、いつ破れるかはわからない。私はその狂気を抱えて生きている。
 その狂気は必ずいつかまた封を破って出てくる。そんな気がする。そしてそれまで、私はなにも知らずに生活をするのだ。何もなかったかのように。何もないと思って過ごすうちに、狂気は地面の断層のように少しずつゆがんで、ひずんで、いつかパチンとはじけるために、力をためる。
 そういう思いを心に抱えたまま育った私は、やはりすっかり歪んでしまって、自分自身を傷つけるようになった。これについては本当に長い間苦しみ続けることになった。
 ドッペルゲンガーの呪いの「欠片」とか「一部」がきっと私の中に残ってしまったのだ。自分を傷つけながら、そんなことをふと考えついた。
 私の腕の傷からわき出す血・・・・・・それは間違いなく私に属している。私はちゃんと私の中のドッペルゲンガーを殺せているだろうか?
 わからない。
 朦朧とした意識の中で思う。
 彼女はいま何をしているだろう。どこにいるのだろう。彼女もまた、ドッペルゲンガーにとらわれているのだろうか?
 ぼんやりと考える。

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