小説

『平和な時代に勇者はいらない』松みどり(『桃太郎』)

「俺の嫁っす。腹に子どももいます。先月入籍済みっす。あっ来月挙式なんで良かったら来てください」平さんは笑顔でさらりと言った
 その時、桃太郎の脳裏でものすごい速さで過去の映像が流れた。桃の中で揺られ、川の流れに運命を委ねた事。桃を割ったお婆さんの包丁が結構ギリギリだった事。世界平和を夢見て鬼ヶ島出征を決断した事。犬と猿と雉がノリで付いて来てくれた事。本気を出したら一瞬で鬼ヶ島を制圧できた事。燃え尽き症候群になり、平和な新時代での自分の身の振り方に思い悩んだ事。他人の人生が羨ましくて卑屈になった事。お爺さんとお婆さんの優しさと思いやりを気がついていたのに、あえて無視した事。嫌々始めたジムがとても楽しかったこと。源さんのセクシーボディーライン。平さんの白い歯。元気なおばさんたち。巴さんへの恋心。平さんと巴さんは夫婦。さよなら恋心、もうすぐこんにちは赤ちゃん。
「あっ、ヤバい。今、俺、走馬燈見てる」そう叫んで桃太郎はぶっ倒れた。
 目が覚めると枕元にお爺さんとお婆さん、犬と猿と雉、そして平さんと巴さんがいた。
「……ずっと心配かけて、ごめんな」
 お婆さんの眼には涙がたまっていた。お爺さんが桃太郎の手をしっかりと握る。
「いや、お前はもう大丈夫だ」
 桃太郎は改めて自分が大切な人たちに囲まれて生きていることを感じた。
「長い間連絡しなくてごめん」桃太郎は犬と猿と雉を抱きしめた。
「俺が知らなかった新しい世界を教えてくれてありがとう」桃太郎は平さんと巴さんを見つめ思いを伝えた。
「本当にみんなありがとう」知らぬ間に桃太郎の眼から涙が流れた。
 お婆さんはそっと涙を拭い、わざと明るい声を出した。
「さあさあ、桃太郎のお友達がお見舞いに来てくれているって言うのに何もお構いしていませんでしたね!そうそう、今朝、裏の川に大きな桃が流れてきてね、新鮮で美味しそうなのよ!皆で食べましょう!」
「とりゃ!」お婆さんは張り切って、豪快に包丁を大きな桃にめがけて振り下ろした。
「ババア!ちょっと待て!」桃太郎は勇者の力を100%使いお婆さんの包丁を止めた。

 その後、桃太郎はパラダイスジムのイメージキャラクターとして採用され、モデルを務める傍ら、筋力トレーナーや護身術の講師を担当した。
 桃太郎とパラダイスジム監修のダイエット本やヨガを組み入れた筋力トレーニングのDVD付き書籍はミリオンセラーを生み出した。
 平さんと巴さんは無事に挙式した。平さんファンのおばさんたちは結婚の知らせに絶叫し、ジムの狂言退会を試みる者もいた。平さんファンの一部は桃太郎ファンへとシフトするなど、しばらくパラダイスジムのトレーニングルームはざわついた。しかし、今ではすっかり元通りで平さんと桃太郎は同僚として仲良く働いている。
 巴さんは可愛い男の子を生んだ。桃太郎は勇者を必要としないこの平和な世の中を、次の世代へ、そしてそのまた次の世代へ引き継いでいきたいと強く願った。         
 さて、最後にあの大きな桃の顛末について語りたいと思う。桃太郎がお婆さんから桃を取り上げ、慎重にカットしていくと、玉のように美しい女の子が現れた。女の子は小桃姫と名付けられ通常の人より早く成長した。女の子の常で体より成熟な心を持つ小桃姫はその優秀な頭脳を桃太郎に近づく女性たちを追い払うために活用している。
 そう遠くない未来に桃太郎と小桃姫は似合いの夫婦となるのだが…それはまた別の物語。

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