小説

『道』藤野(『古事記』「黄泉比良坂」)

 今はただ恐ろしい。

 必死で歩きながら、遠い昔に聞いた爺さまの話を思い出そうとする。確か山道で亡者に追われた時の対処方法を爺さまは何度も何度も俺に言い聞かせたはずだ。あの頃の俺を小突いてやりたい。真面目に人の話を聞けと殴ってやりたい。歩く速度がほとんど走っているのも同然の状態となった時、目前に門番のように立つ2本の桃の木が見えてきた。と同時に爺さまの助言を思い出す。亡者は決して桃の木には近づけない、だから恐ろしいものに追われた時は決して後ろを振り向かずそのまま桃の木に隠れるようにと。

 ありがたい。

 あともう少し、あともう少しできっとここを抜けられる。自然と足が速まる。背後の足音も同じく速まる。明らかに俺を追っている。あともう数歩だと、桃の木に必死で手を伸ばし、ほっとして足をゆるめた時、どん、と俺の中を熱い何かが通り抜けた。

 −なあ、知ってるか?この道を通っている時に道に迷ったら、決して歩みを止めちゃならないんだそうだ。亡者に捉えられちまう。
 −どうすりゃいいんだよ。
 −必ずもう一つの見知らぬ足音が聞こえてくるからそいつに合わせて歩き続ければいいらしい。そうしないと見つかって亡者の仲間にされちまう。同じ歩幅で歩いていれば、そいつはこっちを化け物だと思って出口まで案内してくれるそうだ。

 恐ろしい力で俺の中を通り抜けって行った二人の旅人が桃の木の向こう側の光の中で晴れ晴れとした顔で振り返る。

そうか、亡者は俺であったのか。

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