小説

『道』藤野(『古事記』「黄泉比良坂」)

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 道とは必ずどこかに通じるためのものだろう。どこにもたどり着くあてのないものなど道と呼べるのだろうか。人が暮らし営みを続けるうちに自然と道が生まれ、人が踏みしめ道が広がっていく。人がならした道を歩いている限りは必ず人の世にぶつかるはずだ。はずであろう。

 それなのに一向に村が見えてこない。ふもとの宿を発つときに、「昼過ぎにはつきますよ」と宿の店主が教えてくれた。しかし、道は山の中を蛇行しながら果てしなく続いている。俺は足を止めて頭上を仰ぎ見る。果てしなく歩き続けているような気分になってはいるが、まだかろうじて空は明るい。

 足を止めたことで、はたと周囲が異様だと気づく。魑魅魍魎でも出てきそうな暗闇はなく、むしろ山の中にしては明るい方だろう。道の端に点々と植えられた桃の木に花が咲いておりのどかさすら誘う。しかし、まるで絵の中のように動くものがなく、虫の音すら聞こえない。静かすぎる。肌が粟立つような気分を覚え、先ほどよりも早足で再び歩き出す。大丈夫だ、道がある限りどこかに着くのは間違いないのだから。

 間違うような脇道もなかった。ただ一本の道がひたすら続いている。いったいここはどこなんだと妙な胸騒ぎを覚えながらも、自分自身に安心しろと言い聞かせ続ける。人の道であれば必ずどこかにつながるはずなのだからと。

 ちらちらと頭上を仰ぎ見ながら歩く。緩やかに、だが確実に日は西に傾いているようだ。頭上の木々の色が濃くなるにつれ、さすがに日が落ちる前にどうにかしなければならないと気ばかりが焦る。だんだんと暗くなる山の中で、ふと昔爺さまから聞いた話を思い出した。

 とある山の中で道に迷った時は決して後ろを振り返ってはいけないという。何者かの気配を感じて振り返ったら最後、亡者にとらわれて二度と山から出られないという。黄泉比良坂につながると言われるその山は一体どこの山のことだったか・・・。

 かさり、と草木を踏みしめる音がした。人が来たのかとほっとする反面、亡者の話が頭をよぎる。振り向きたいが。恐ろしい。

 仕方がないからこれまで通り歩き続ける。ぼんやりと見える道の先は永遠に続いているのではないかと思えてくる。かさり、かさりと、足音は私を追うように同じ歩幅でついてくる。足を速めようが緩めようが必ず同じ歩幅でついてくる。

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