小説

『人魚』末永政和(『月とあざらし』小川未明)

 しかしそれを伝えることなどできるはずもなかった。子どもの無事を願うからこそ、人魚はこうして生きていられるのだ。
 どうして自分の体は、こんなにも冷たいのだろうか。せめて柔らかな土のようであったなら、そのうえに草花が生えていたなら、これほどに寒い思いを人魚にさせずにすんだのに。せめて寒風をしのげるように、人魚のまわりを氷柱でかこってやりたかった。乾ききった喉を、潤してやりたかった。
 いつしか人魚は風や月に問いかけるのをやめて、ただ歌だけを、切々と歌い続けるようになった。のどから血が出てもなお、人魚は歌うのをやめなかった。眠ることさえやめて、そのか細いからだから歌声を絞り出した。
 人魚は知らず知らず、自身に呪いをかけたのであった。意志もなく心もなく、ただただ子どものために歌い続ける呪いを。体中が凍り付いてしまっても、彼女の口元だけは変わることなく旋律を奏でるのだった。
 ある晩、氷山は月と風に語りかけた。どうか人魚の呪いを解いてやってはくれないか。私はどうなってもかまわないから。どうせあちこちに亀裂の入った、傷だらけの体なのだ。これ以上の悲しみを、私はもう見たくない。
「私は世界中を経巡って、仲間たちにも聞いてみたが人魚の子どもは見つからなかった」
 風はそう言って、ますます激しく身を震わせた。
「私は地球の裏側まで見届けてきたが、やはり人魚の子どもはいなかった」
 月はそう言って、悲しく顔をくもらせた。
 二人の目の届かない場所は、もう海の底しかないのだった。そこは死者の国であった。永劫の悲しみが住まう、常夜の国であった。彼らが語り合うその間にも、人魚の歌声は寒空に響き渡っていた。

 北方の海の果てを、稲妻がはしったのはそれから数日後のことであった。その晩、風はますます激しく吹き荒れて、白い竜巻のように雪を飲み込んだ。月はすっかり姿を隠し、無数の黒雲を呼び寄せた。彼らが落した稲妻は、人魚を氷山ごと打ちくだいたのであった。
 真冬にくるう銀の海には、氷のかけらが散らばっていた。歌声はもう響かなかった。弦が切れて、焼けこげてしまった竪琴だけが、もとの姿をかろうじてとどめて海原を漂っていた。

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