小説

『モモ、傍にいる』木江恭(『桃太郎』)

 途端にコトリの目が零れ落ちそうに潤んだ。
「ライカちゃん、どこいくの」
「大丈夫、ちゃんと帰ってくるよ」
 ライカは膝をついてコトリを抱きしめた。子ども特有の高い体温、甘い香り。
「さ、エンを連れていって、もうお休み」
 ライカの有無を言わさぬ声の調子に、コトリは悲しそうに眉を下げたまま黙って頷き、部屋を出て行った。エン、と囁く声、二人分のおぼつかない足音、ドアの閉まる音。
 コトリ、とライカは心の中で呼びかけた。万が一の時はエンを頼むね、たった一歳だけでもコトリはエンのお姉ちゃんなんだから。
 そしてモモのことも。モモを一人にしないでね、決して。
 ライカは静かに足を踏み出した。

 狭い操縦席。体を包み込むシート。視界を埋め尽くす計器類とオールグリーンのランプ。厳密に完璧に浄化された空気の乾いた匂い、緊張でぴりぴりと引きつる肌の感覚。
 あの夜とは何もかもが違う、とライカは深呼吸する。あの時はきょうだいの温かい匂いが胸をいっぱいに満たしたのに、今は不安と動悸で心臓が破裂してしまいそうだ。
 ライカは目を開ける。全ての夢と想像をかき消して、ライカは腕を振り下ろす。
 小さなナイフが深々と突き刺さる、現実の手応え。
「――!」
 目を覚ましたモモが、鬼のように顔を歪めて悲鳴を上げた。
 布団の上から馬乗りになり、ライカは全身で兄を押さえ込んでさらに力を加える。左腕に埋まった刃をぐりぐりと回転させると、獣のような声を上げてモモの体が跳ねた。
 使い物にならなくなってしまえばいい、こんな腕。奇跡のような精度でシップを操るこの腕が例え一時的にでも動かなくなってしまえば、モモはあの空飛ぶ棺桶に乗らなくてすむのだから。
「ラ、イカ」
 モモは信じられないものを見る目でライカを見つめている。噛み締めた歯の間から漏れる吐息がライカの名前を継ぎ接ぎに形作る。

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